>>950
宗教は自分で掴んだ範囲しか分からないのではないだろうか。
人の経験や高説もそのようなこともあるかも知れないが話を膨らましているのかも知れないという思いは常にある。
しかし
自分で経験し考えて掴んだものは魂に刻まれて行く。
魂に刻まれて行く途上で人の経験や高説もこのようなことではないだろうかという思いが巡る。
その巡る思いの中において自分を超える思いもある。自分ではない者の思いが入る。
矛盾していてどうにもならない思いが解消する瞬間である。

総裁は本当にゼロからの出発であったろうかという問いにまだ解答は出ない。