今の教会は今にも消えんばかりである中、晴佐久神父の実績は大したものである。そこには
他の教会が学ぶべき何か真実のものがあるに違いないと謙虚に考えられないのか?
救済についての考え方が伝統と少々違っていても異端視するほどのこともなく、聖書理解の
多様性程度に見ればよいというある人の意見には賛成だな。

にもかかわらず誹謗中傷としか思えない攻撃をする人は嫉妬と思われてもしょうがないと思うよよ。