>>14
私も長い間考えてきましたが、私の中では「踏み絵は踏んではいけない(踏まない)」が
正しいという結論になりました。
踏んではいけないと書くと、他者へ向けられる教条主義、原理主義と批判されますから
表現が難しいのですが、それぞれが祈りのうちに導かれる正しい結論は
やはり「踏まない」でしょうね。
  
踏み絵の前に立たされている自分の心の内。

【ケース1】
神への愛      <     生き延びたい
↑               ↑
ルカ12:8ー9        ↑     
全身全霊を込めて(第一の掟)  隣人愛(第二の掟)の観点でどうか。
  
                
【ケース2】
神への愛      >     殉教(殉愛)していい
↑               ↑
ルカ12:8ー9        ↑     
全身全霊を込めて(第一の掟)  隣人愛(第二の掟)の観点でどうか。
 
 
※考えなければならないこと
(1)神の他者への愛は、自分の他者への愛より大きい。
(2)自分であれ、他者であれ、死後の世界をも司る神への信頼。
(3)イエス様の十字架と、踏み絵は同じようなものではないのか。
   キリストに倣ひて、ならば・・。
(4)隣人愛は「自分がして欲しいことをしてにしてあげなさい」であり
「人がして欲しいと思うことを想像して、それを人にしてあげなさい」ではない。