竹内文献の偽書論
昭和11年(1936年)、岩波書店を通して狩野亨吉氏が「天津教古文書の批判」を行い、竹内文献を
偽書として徹底的に攻撃したことがあった。狩野氏には大変申し訳ないが、結局は重箱の隅をほ
じくる程度しかできなかったように思える。大局を小事で見誤った典型ではないだろうか。

狩野氏が攻撃に真っ先に利用したのは、「長慶皇太神宮御由来」にある誤字と表記の誤りである。
ご本人は論文等で、過去に一度も文字を書き間違えたことがないのだろうか。ましてや、『竹内文献』
は写本を幾度も繰り返しているのである。第66代宮司の巨麿まで4代ごとに写本を繰り返したとあるので、
単純に数えても「都合16回も写本された」ことになる。

誤字や誤訳があるから偽書だと決め付けるのは、いささか乱暴すぎはしないか。
日本書紀は、「一書に曰く」と書かれていたから許されたのだろうか。おまけにある目的を持って
共通文字を使ったり、故意に矛盾を作って仕掛けをするのも偽書の証拠というのでは、矛盾の塊である
記紀はどうなるのか。

狩野氏が再三にわたって引き合いに出す"漢音混入≠ノしても、写本の段階で当時の人聞が理解しやすい
よう、古語表記を時代に即した表記にした可能性がある。要はそれで意味が通じればよいのであり、意味
が分かりにくい表記のままにするより、はるかに良心的である。