ほとけと言う人格的な人物がいらっしゃるわけであります。
Budha 目覚めた者、仏陀、と言う聖者に対する尊称 です。
ほとけは、仰ぎ見るものではありません。
自他一如ですから、ほとけとも、地獄の鬼とも、二ではない、一の如し、です。
どちらも、わたしです。
ほとけとは、真理さとり の事です。

わたしは 公案に取り組みました。
隻手の音声(せきしゅのおんじょう)、と言うものです。

「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい」、と言う公案です。

32〜33歳の頃、無師独悟(むしどくご)、と言いますか、あるいは、独覚(どっかく)、と言いますか、初関を透った(しょかんをとおった)のです。
もちろん、お師家さまのもとで修行した事も無く、つまり、保証書。印可状がありません。
でも、一向に気にしてないのです。
と言うのも、人間から、影響を受ける事をその頃から特に極端に避けていたのです。

ある曹洞宗の僧が言います、引導を渡すのが、僧の資格での仕事、だと。
だから宗派の大学を卒業してから、門を叩きなさい、と言います。

片手の人がたたく拍手の音を聞いたので、これを、さとりとして、その後、20年近く、見性したと思っていました。
色即是空です。
臨済宗の僧が、この方も、隻手の音声に取り組んだそうですが、「聞いた!」 とお師家さまもさぞや喜んでいただくだろうと、方丈に喜び勇んで駆け込んだそうです。
ところが、お師家さまは小さな静かな声で、「片手でたたく音は聞こえない」、と、すぐさま、色即是空から、空即是色へとリアル世界に引き戻していただいたそうです。
それで、今のわたしは、空即是色、です。
お師家様は、と言うものは実にあったかい存在ですね、まさに老婆禅のお師家さまばかりです、弟関係とは、いいものですね。
わたしは、無師独悟、独覚ですから、20年ぐらい、色即是空に留まっていました、それも、無師独悟、独覚のわたしであり、今のわたしは、色即是空は、空即是色と返すです。