>>837
聖霊や歴史の偉人たちや神々に対し ことばの石つぶてにて打ち続けたその罪は誰が受けるのであろう。他の誰かではなく投げつけた者 大川が受ける以外ない。

死して以後、知らなかったと許しを求めてもその時はもう遅い。本当に知らなかったら石を投げることはなかったはずであろう。

今からでも遅くはない、生きている内に気が付く者は幸いである。

神々の名を騙った過ちを詫びるのは神や仏の力ではない。奇跡の働きでもない。本人の自由な意志により決められるように与えられている

信者一人ひとりの「真の仏陀とはいかなる者なのか」に気付くことが個人の未来を作り出すと同時に大川の贖罪への機会を作りだすのです。