碧巌録(へきがんろく)  第47則?  雲門(うんもん)六不収    
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垂示:
天何をかいうや、四時行わる。地何をかいうや、万物生(な)る。
四時の行わるるところに向って、以って体を見るべし。万物の生(な)るところに於いて、以って用を見るべし。
しばらくいえ、いずれのところに向ってか、衲僧を見得せん。
言語動用、行住坐臥を離却し、咽喉唇吻を併却して、還って弁得すや。
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注:
天何をかいうや、四時行わる。地何をかいうや、万物生(な)る:「論語」からの引用。
天は無言で地上の一切の物に光と熱を与えながら春夏秋冬の四季の絵巻を繰り広げている。大地もまた無言で、一切を浄化し、万物を慈しみ生育している。 
還って弁得すや:自己の正体を見て取る。 
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垂示の現代語訳
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天は無言で地上の一切の物に光と熱を与えながら春夏秋冬の四季の絵巻を繰り広げている。大地もまた無言で、一切を浄化し、万物を慈しみ生育している。
春夏秋冬の四季の運行に天の本体(体)を見なければならない。
万物が地上で生育するところにその作用(用)を見ることができる。
天地の体用はそのようであるが禅の悟りの本体としての真の自己の体と用はどのようなものであろうか? 
 そしてそれをどこに見得すればよいだろうか?
言語動用や行住坐臥を離れ、言葉を離れて、自己本来の面目を見て取ることができるものだろうか。