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擧。
趙州問投子。大死底人。却活時如何。
投子云。不許夜行。投明須到。

挙こす
、趙州じょうしゅう、投子とうすに問とう、「大死だいし底ていの人ひと、却かえって活かっする時とき如何いかん」。
投子とうす云いわく、「夜行やこうを許ゆるさず。明めいに投とうじて須すべからく到いたるべし」。

大死低の人

「死にきった人。万死に一生を得た人。一切の見聞覚知・情識分別を離れ、世出世・順逆を見ない大悟人をいう」とある。【大死底人】
入矢義高監修/古賀英彦編著『禅語辞典』には、「死に切った人」とある。【大死底人】
『禅語字彙』には、「全く自己を忘じて、一切殘り物のない大悟底の人をいふ。
また、大悟者にして未だヘ化の機を發せざる者を、死在底の漢といふことあり。畢竟大死は消極の絶點を云ひ、その絶點即ち大活の現成なる意を寓せる也」とある。【大死底人】

本則
趙州投子に問う、「大死底の人、却って活する時如何?」。
投子云く、「夜行を許さず、明に投じて須らく到るべし」。


趙州:趙州従シン(778〜897)。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願 →趙州従シン  
投子:投子大同禅師(819〜914)。翠微無学禅師の法嗣。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→丹霞天然→翠微無学→投子大同  
大死底の人:一切を捨てて、捨てて捨て果てた人。大死一番の人。
夜行:大死底と同じ。絶対無に安住している状態。
明に投じる:大活する。まっ昼間のように、ハッキリ、ハッキリ、明歴々、露堂々としている。
「夜行を許さず、明に投じて須らく到るべし」:絶対無に安住することなく、まっ昼間のように、ハッキリ、明歴々、露堂々としていないとだめだぞ!

本則
趙州が投子に聞いた、「大死底の人が、大死一番からよみがえって大活する時はどうだ?」。
投子は言った、「死んだの活きただのウサンくさいぞ。この幽霊和尚!来るなら、夜ではなく真昼間、堂々と大手を振って来い」。