>>466

⇒ わたしは、この 薬草であるシャクヤクの花の畑、と言う受け取りの見事さに心が躍る、美しいからだ。

  他には、
  この家の前の小さな道は、都である長安に通じている、と言うのが有る。

  これらの公案が、これほど身近なものになってくれたのは、
  ほとけとは、今私が小脇に抱えてる麻の布ですよ、重さは三斤ほどありますよ、と云う公案だった。

麻布は、織機で織られ、縦糸の横糸を透して、重ねて、今井の布になる。

家の前の小路(こみち)は遠く離れた都・長安までに通じている、と言う。
道は十字路で左右と交わる。
シャクヤクの花畑は、畦道で区切られている。

この公案は、同じことを言う。

ほとけの実際はこれだ。
これほど確かな言語による表現は、他には、無い。
見事で、美しい。

死を前にして、アーナンダに言い残した、これまで生きてきた私の人生は、なんと甘く、美しいものであったか、と振り返られたシャキャ族の聖者にま見(まみ)える。

マブダチ道元は、麻布を小脇に抱えてはいなかったが、空種(くうしゅ)で、眼横鼻直、と言う。

みんな ばばあ だ。
なみだでてくる、しらないまに。