「ジャズのコンサート会場で、暑い演奏で、聴衆が禅院立ち上がり拍手(@^^)/~~~パチパチをしていた時、片手の人も拍手をしている。
その時、片手の人は拍手の音を聞いているよね」と、云う。
それでも、わたしは、即答が出来ず、黙って聞いていただけであった。
どれほどの日数が過ぎていったのか、今でははっきりわからないが、 わたしは、黄金の炎が立ち上がるのを見た。
最初は小さな黄金の炎だったが、それが次第に大きくなっていった。
これが何なのかはわからないが、 のちに、他の修行僧の話しとして、この人は師家の部屋へ行く途中の庭の草が黄金色に燃え上がっていたのを何度も観た、という事wくぉ知った。
この黄金の炎を見る事は、あるいは、見る事が、さとりに直結するものではない、と言ってたが、わたしもそうだと思う。
そう言う事が続いたある日、突然、片手の人が叩く拍手の音を聞いた。
それからずいぶん長い月日が過ぎ、臨在層が勝てての音を聞いたとお師家さまの部屋へ駈け込んだとき、すぐに、
片手の人が叩く拍手の音は聞こえないよ、とじかに教えていただいた、と言う。
それで私も、色即是空は、空即是色に還(かえ)るに、なった。
胸倉をつかみあげられたり、叩かれたり、死を持つ修行僧は、富裕層のご子息である。
通園、通学にも運転手付きの黒塗りの外車で登校、下校、である。独語
とにもかくにも 無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく) である。
無師のシャキャ族の聖者もネーランジャラー河畔の瞑想でさとられた。