2011年(主日A年) 10月16日 年間第29主日
イザ 45:1〜6  Iテサ 1:1〜5b  マタ 22:15〜21

「わたしは、祈りの度に、 ・・・・・ あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。
あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。」(Iテサ vv.2-3)

ミサの “ことばの典礼” で朗読される聖書のテキストを、聖伝と聖書という背景から抜き出して、自分たちが生きている世界の政治や社会の問題にそのまま当てはめようとする傾向が、多くの人に見られます。
司祭や牧師たちの多くも、まるでそれが当たり前のように、聖書を材料にして自分が工夫した “現代人の歩み方” を説教しています。
毒にも薬にもならないそんな説教に、信者はすっかり馴らされて来たのではないでしょうか。

先ず 「信仰によって働き」 とは、使徒たちから伝えられたキリストの福音という土台の上に(Iコリ 3:10-17)、神の国の到来を待ち望む共同体を造り上げることを指しています(Iテサ 1:9-10)。
「希望を持って忍耐している」 根拠は、教会が福音を通して神の招きを受け(Iテサ 2:12)、教会の中に神のことばが 「現に働いている」(Iテサ 2:13)からです。
「愛のために労苦し」 とは、教会の中で信者が “主の言葉に基づいて ・・・・・ 互いに励まし合っている”(Iテサ 4:15-18)ことに外なりません。