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本則

保福、長慶、遊山する次で、福、手をもって指して云く、「只這裏 すなわちこれ妙峰頂」。
慶云く、「是なることは即ち是なるも、可惜許」。
雪竇著語して云く、「今日この漢とともに遊山して、箇のなにをか図る」。
また云く、「百千年後無しとはいわず、ただこれ少なし」。後鏡清に挙示す。
清云く、「もしこれ孫公にあらずんば、すなわち髑髏、野にあまねきことを見ん」。

注:
保福:保福従展(?〜928)。雪峰義存の法嗣。
南山:雪峰山
長慶:長慶慧稜(854〜932)。雪峰義存の法嗣。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存→長慶慧稜
妙峰頂:華厳経入法界品で、善財童子が最初に訪ねる徳雲比丘が住む山。
是なることは即ち是なるも、可惜許:そうには違いないが、少し違うのが惜しい。
鏡清: 鏡清道フ(868?〜937)雪峰義存の法嗣。
孫公: 長慶慧稜の俗姓

本則

雲門の兄弟弟子である保福と長慶の2人が、連れ立って近くの山に散歩に出かけたの話である。

ある日の薬石(夕食)後のことだと思われる。
保福と長慶の2人が、連れ立って近くの山に散歩に出かけた。
太陽が西の山々を照らしながら沈んで行く頃で夕日が暮なずむ山々の稜線を照らしこの世のものとは思えない絶景が展開していた。

保福はこれを見て指さしながら云った、「ああ、何と素晴らしい景色だ!まるで天上界のようだ。華厳経に説く徳雲比丘が住む妙峰頂とはこのような処だろうか」。
保福はこう言って「自分の悟りの境地」を匂わせた。

長慶は言った、「そりゃそうだな。しかし、悟りくさくて鼻もちならん。ちょっと違うのが惜しいな。」。

後に雪竇(せっちょう)はこれに著語(じゃくご)して言った、「今日この二人はせっかく遊山したというのに、悟り臭いこと言っていったい何をしにいったのか」。
雪竇はこれでは言い足りなかったのかこれに付け加えて言った、「しかし、そうは言うものの、「這裏(しゃり)これ妙峰頂」と言えるような者は百千年後といえども少ないだろうな」。
後にこの話を聞いた鏡清は言った、「もしこれが孫公(長慶)がいなかったならば、そのまま悟りの死人禅で、地球は埋まってしまっただろう」。