宇宙意識 事実としての隠喩と隠喩としての事実 もっともよく知られてい、(以前は)誰もが理解していた象徴的記号
として太陽と月があります。これらは青銅時代から存在し、東西の高度な文明によって受け継がれれて来たものです。
このうち月は、影を投じて生まれ変わる存在であり、この地上で時間の中に参与しつっ死を破壊する生命力ーかなわち、
この地上でわれわれ一人一人の中に具現し、しかも自らが肉体性を超越していることを知る生命力ーを意味します。他方、
翳る事の無い太陽の光が意味しているのは、この時間の場から開放された意識、こ超越的かつ永遠の意識の光です。
この象徴的配分の脈絡においては、月の満ち欠けの一周期が人間の一生とのアナロジー関係におかれます。そして月が満
ちる十五日めが人間の三十五歳にあたります。(人間の寿命を七十歳、つまり三十×2+十と数えるのです)、さてまさに
その特別な夜には、ちょうど地平線に現したばかりの月が反対側の地平線に没しようとする太陽と真向かいに相対する
瞬間があります。そして一年のうちなんか月かには、このとき太陽と月が完全に均衡して、大きさも光も等しくなること
があるのです。この瞬間はアナロジーによつて、人生の中間の時に対応するものとされてきました。それは、精神に反映
された意識の光と、あの永遠的な光ー太陽の光をその典型的な隠喩とするあの光ーーとの同一性が突然にあるいは徐々に
理解できるようになる時期です。それを見る心の準備があれば、これによつて、時間的な、他の光を反射する身体から
太陽のような源泉への移行が起こることもあります。そうなると人は、どのような時間と場所にも属さず、普遍的で死を
超越し、しかもあらゆる存在に永遠を具現するあの存在と、自分が本質を共有することを知るのです。すなわちウパニシ
ャッドにあるように「汝はそれなり」ということを知るのです。
?でも骨骨だけが残る観七日 読書飛躍片深く走る