碧巌録(へきがんろく) 第7則? 慧超問仏(えちょう もんぶつ)

試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
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本則:
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僧、法眼文益禅師に問う、「慧超(帰宗策真の本名)、和尚に咨(もう)す。如何いか)なるかこれ仏?」
 法眼云く、「汝はこれ慧超」。
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本則:
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法眼禅師に慧超という僧が聞いた、「私は慧超という者です。和尚に一つ尋ねます。一体仏とは何でしょうか?」
法眼は言った、「お前は慧超だ」。
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白隠禅師和讃 - 5:11
https://www.youtube.com/watch?v=Oxs2A9cwTDw

臨済宗  - 6 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=Vohsba-978o&;list=PLNoMPl2bzH76dqZMfJ7INDoQVItF1u-r7&index=2

衆生(しゅじょう)本来(ほんらい)仏なり
みんな、そのままで仏さまだ。

水と氷の如(ごと)くにて
それは、水と氷のようなもので、

水を離れて氷なく
水がなければ氷もできないのと同じように、

衆生の外(ほか)に仏なし
みんなのほかに、仏はいない。

衆生近きを知らずして
しかし人々は、仏がこんなにも近くにいるのに(自分自身が仏であることに)気づかないで、

遠く求むるはかなさよ
遠くに求めてばかりいるとは、なんと愚(おろ)かなことだ。

譬(たと)えば水の中に居て
たとえるなら、それは水の中にいながら、

渇(かつ)を叫(さけ)ぶが如(ごと)くなり
のどが渇(かわ)いた、と叫んでいるようなものだ。

長者(ちょうじゃ)の家の子となりて
また、裕福(ゆうふく)な家の子に生まれていながら、

貧里(ひんり)に迷うに異(こと)ならず
貧(まず)しいと悩んでいるのと同じことだ。

⇒ ほとけ から、ほとけという名詞を剥ぎ取ったそれを 何と呼ぶか。

  慧超えちょうから、慧超 という名詞を剥ぎ取ったらそれを何と呼ぶか。