碧巌録(へきがんろく) 第3則? 馬大師不安(またいし ふあん)
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垂示
一機一境、一言一句、しばらく箇の入処あらんことを図れば好肉上に瘡(きず)をえぐり、 カを成し窟(くつ)を成す。
大用現前(だいゆうげんぜん)、軌則を存せず、しばらく向上の事あるを知らんと図れば、蓋天蓋地(がいてんがいち)、又模索不著。恁麼もまた得(よ)し、不恁麼もまた得(よ)し。
太(はなは)だ廉繊(れんせん)なり。
恁麼もまた得(よ)からず、不恁麼もまた得(よ)からず。
太(はなは)だ孤危(こき)なり。
二塗に渉(わた)らず、如何にすれば即ち是なる。
請う試みに挙す看よ。
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一機一境:一つ一つの働き(機)と動作(境)。
入処:悟入への手掛り。
大用現前(だいゆうげんぜん)、軌則を存せず。:仏法の大いなる働き(用)と展開(現前)には決まったパターン(軌則)がない。
向上の事:仏向上事。仏を踏み越えた消息。第二則の「向上宗乗中の事」(仏法をすら超出した禅の究極)と同じ。
蓋天蓋地(がいてんがいち):天を蓋(おお)い、地を蓋(おお)う。
模索不著:探り当てられない。
恁麼(いんも):そのようなこと。
太(はなは)だ廉繊(れんせん)なり:はなはだ繊細微妙だ。
孤危(こき)なり:ひとり高くそそり立っている。
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垂示
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禅者は一つ一つの働きと動作や一言一句によって悟りへの手掛りを示唆する。
しかしそれは無傷のきれいな顔に傷をつけるようなもので余計なことにもなる。
師の示唆が却って、落とし穴になって禅を誤ることになる。
仏法の大いなる働きと展開には決まりきったパターンはない。
仏法を超えた禅の究極を知ろうとするのは天を蓋(おお)い、地を蓋(おお)うようなもので、探り当てることはできない。
そのような仏向上の世界は絶対の世界だから天にも一杯、地にも一杯、どこにある。
「そうであっても(恁麼も)良いし、そうでなくても(不恁麼も)またよい」で、すること、なすこと何でも禅で、非常に繊細微妙である。
また逆に、「そうであっても(恁麼も)良くないし、そうでなくても(不恁麼も)またよくない」で、ひとり高くそそり立って近づき難い世界でもある。
そのどちらにも片寄らないところに達するにはどうしたら良いだろうか。
ここに良い例があるので試しに参究しなさい。