日本もキリスト教を盛んにしようよ。 [無断転載禁止]©2ch.net
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2002年(主日A年) 11月17日 年間第33主日
箴 31:10〜31 Iテサ 5:1〜6 マタ 25:14〜30
「主の日」 という語は、新約聖書では二つの意味で用いられています。
一つは、教会が一つに集まって共にミサをささげる “週の始めの日” のことです(黙 1:10)。
私たちはこの用法にしたがって、日曜日のことを “主日” と呼んでいます。
もう一つは、 Iテサ v.2,v.4 の、キリストの再臨の日を指す用法です。
これはまた 「キリストの日」(フィリ 2:16 )、「人の子が現れる日」(ルカ 17:30)などとも呼ばれています。
キリストの福音の光りに照らされて生きている人は、この日に向かってその人生を歩みます。
「しかし兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。 ですから、主の日が盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。
あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。 わたしたちは夜にも暗闇にも属していません。」(Iテサ vv.4-5) (つづき)
しかし現代のキリスト者である私たちは、ここで重大な反省を迫られていると言うべきでしょう。
なぜなら、私たちがこれまで聞かされて来た20世紀の教会の福音の説教からは、この “主の日の到来” という部分が事実上抜け落ちていたからです。
私たちは殆ど全く、“生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト(IIテモ 4:1)の福音” を聞くことがありませんでした。
福音とは、「来たるべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエス」(Iテサ 1:10)に関するものであることを、会衆は殆ど知りませんでした。
しかし、新約聖書によればキリストの福音は明確に、今や迫り来たりつつある神の国の福音であります(マコ 1:15)。
21世紀の教会は、この福音の光に照らされて歩む 「光の子、昼の子」 とならなければなりません。
「盗人が夜やって来るように」(Iテサ v.2)到来する主の日のことを無視して安眠していてはならないのです。
私たちは神の国の福音に目を覚まして、21世紀の教会を造り上げて行くようにと、神から期待されているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています