2013年(主日C年) 11月10日 年間第32主日
IIマカ 7:1-2,9-14  IIテサ 2:16〜3:5  ルカ 20:27〜38

「永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神 ・・・・・ が」(IIテサ v.16)

新約聖書で “永遠” と翻訳されているのは αἰών であって、“世” と訳される場合には “この世” と “後の世” の両方に使われる言葉です(マコ 10:30)。
“永遠の慰め、希望” というのは “永遠の命” の場合と同じく、後の世すなわち来るべき神の国の慰め、希望、命のことを言っているのです。

近代人の多くは、聖書の語る復活も来るべき神の国も本気で信じなくなったために、新約聖書で使われている “永遠” の意味が理解出来なくなってしまいました。
実際、主の祈りの副文を締めくくる “国と力と栄光は、限りなくあなたのもの” や、ニケア・コンスタンチノープル信条の中の “その国は終わることがありません” が何を意味しているのかを理解している信者は稀少なのです。
しかし、この神の国を待ち望む “希望と慰め” という前提を抜きにした “善い働き、善い言葉”(IIテサ v.17)がいくら語られても、それは福音の宣教にはならならないし、そのような説教から人々が “神のことば” を聞くことは、決して起こり得ません。

このように、「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」(マタ 22:14)のです。
しかしそれにもかかわらず、カトリック教会には “委ねられた信仰の遺産”(カテキズム/使徒憲章)があることに信頼し、
“わたしたちの罪ではなく教会の信仰を”(教会に平和を願う祈り)主が顧みてくださることを願って、私たちは 「静かにささやく声」(王上 19:12)に耳を傾けようではありませんか。

・・・・・ 以下、本文参照。
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