日本もキリスト教を盛んにしようよ。 [無断転載禁止]©2ch.net
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2002年(主日A年) 11月10日 年間第32主日
知 6:12〜16 Iテサ 4:13〜18 マタ 25:1〜13
今年も典礼暦の一年の終わりの時期に入り、この時期の聖書の朗読配分によって私たちは、歴史の終末であるキリストの再臨のことに心を向けます。
かつて主イエスが語られた十人のおとめの譬え話が、マタイ福音書を生み出した初代教会で、キリストの再臨に備えなさいという警告をそこから聞くために用いられたことを、私たちは十分に理解する必要があります。
今日のカトリック教会の主日の聖書の朗読配分は、この理解を現代になお有効なものと認めて、今朝の日課に用いているのです。
再臨のキリストが贖われた私たち教会の花婿として来られるという理解は、新約聖書を貫いて語られているものですが、これと結びついて語られる 「婚宴」 の譬は、論理的であるよりもむしろ比喩的に用いられていて、
聞く人々が終わりの日にその祝いに参加出来るかどうかを真剣に考えるように促します。
十人のおとめたちは、「そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった」(マタ v.2)。
ですから私たちは、何が婚宴の席に入る者と閉め出される者を区別するのか、何が賢く何が愚かなのかを承知していなければなりません。 (つづき)
賢いということを、聖書は知恵という言葉で説明しています。
もちろんこれは聖書独自の意味で用いられていて、この世の通常の知恵とは別のものです。
ですから、私たちが自分の人生経験や通常の学問等によって身に付けていくものと、同じものだと誤解してはなりません。
使徒パウロは、「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした」(Iコリ 1:21)と述べています。
私たちにとって知恵とは、キリストの福音のことです。
20世紀のキリスト教は、このキリストの福音を分かりにくいもの、捕え難いものにしてしまいました。
現代のキリスト者である私たちは、「福音とは何ですか」 「救いとは何ですか」 「キリストの再臨と終末の裁きを信じていますか」 等の質問に、恐らく例外なく戸惑い、明確に答えることが出来ないのです。
しかし、聖書は語ります。
「知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、道でその人たちに優しく姿を現し、深い思いやりの心で彼らと出会う。」(知 v.16)
使徒パウロも、申命記を引用して語りました。
「“御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。” これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。」(ロマ 10:8)
そうなのです。 キリストの福音は ・・・・・ 、私たちの信ずべき信仰は ・・・・・ 、与えられたキリストの救いは ・・・・・ 、教会を通して今日に至るまで確実に継承されて来ているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています