碧巌録(へきがんろく) 第74則? 金牛飯桶 (きんぎゅう はんようず )
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挙(こ)す
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〇 金牛和尚、斎時に至る毎に、自ら飯桶をもって僧堂前において舞を作(な)し、呵々大笑(かかたいしょう)して云(いわ)く、「菩薩子、喫飯来(きっぱんらい)」と。

雪竇(せっちょう)云く、「しかもこの如くなりと雖(いえど)も、金牛これ好心にあらず」。

修業僧、長慶に問う、「古人いわく、『菩薩子、喫飯来という意旨如何?』」。
慶云く、「大いに斎に因って慶讃するに似たり」。

〇 昼食時(斎時)になると金牛和尚は飯桶を抱えて僧堂前で踊りながら、呵々大笑して言った「さあさあ、菩薩の子供達よ、飯ができたから食べなさい」。

雪竇は言う、「うっかりするなよ、金牛はこのようにしていても好意で言っているのではないのだ。用心しなさいよ」。

ある僧が長慶慧稜禅師に聞いた、「昔、金牛和尚は飯桶を抱えて僧堂前で踊りながら、『菩薩子、喫飯来』と言ったと言われます。 その意味は何でしょうか?」。
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〇 金牛和尚、斎時 (さいじ) に至るごとに自ら飯桶 (めしびつ) をもって僧堂の前に舞をなし呵呵大笑して云く、『菩薩子、飯を喫し来たれ』と。

雪竇 (せっちょう) 云く、『かくの如くなりと雖 (いえ) ども、金牛は是れ好心 (こうしん) ならず』。

僧、長慶に問う、『古人道 (いわ) く、「菩薩子、飯を喫し来たれ」とは意旨如何 (いかん)』。
長慶云く、『斎に因って慶讃 (けいさん)するに大いに似たり』。


⇒ 一日の食事、朝とお昼の食事のうち、最後のお昼のご飯を炊いて修行僧たちに、ご飯が炊けたよ、食べよう、と呼びかけ、かっかっかと大笑いをし踊りながら帰って行った、と言う。   

   わたし達は、生きとし生けるもの、動植物、地球そのものが、つまりは、たいようのわかれであり、ぎんがのわかれ、ぎんがけいうちゅうのわかれ、うちゅうそのものです。

  食事は、太陽のエネルギーを補給しているのです。
  そして、小さな太陽、となります。

  金牛和尚、肩を組み、笑い、歌い、手を叩き、足を踏み鳴らし、舞い踊る、ゆえんがそれです。