戦後の左翼史観が「縄文=原始的」のイメージを生んだ
しかし、こうした驚くべき可能性を持っている縄文時代に、なぜ原始的な時代かのようなイメージがつきまとっているのか。

大きな理由は、戦後の考古学にある。

そもそも「縄文時代」という時代区分は、先の大戦以前にはほとんど聞かれなかった。敗戦後、日本の神話や皇国史観に"偏りすぎた"歴史観を見直す流れの中で、「縄文・弥生」という区分名称が使われるようになったのだ。

というのも、これらの用語は「日本は劣った狩猟生活をしていたが(縄文)、大陸から稲作が持ち込まれ高度な農耕社会が生まれた(弥生)」という歴史観を反映しているのだ。

例えば、「縄文・弥生」という区分名称が普及する大きなきっかけになったとされる『日本の考古学』(1966年)には、次のような記述がある。

「弥生時代は、ながく停滞的な採集経済の段階にあった縄文時代の日本民族が、大陸の農耕文化の促進的な影響をうけて稲作を中心とする生産経済にうつり、米を主食とする日本人のその後をきりひらいた時代である」

つまり「縄文=原始的」というイメージの背景には、「皇国史観」を敵視し、「日本より大陸の方が進んでいる」という自虐史観があるのだ。

しかし、「すでに縄文時代において前日本に日本語系統の言語が広く流布していた」(言語学者・服部四郎)、「日本語は縄文文化とともに始まった」(言語学者・小泉保)といった指摘もあるように、
この時代に、日本人のルーツの一端がある以上、その時代の姿について曖昧にはしておけない。

「縄文ブーム」の奥には、そんな隠されたルーツを求める心理も働いているのだろう。
【参考書籍】
志村史夫『古代日本の超技術』(ブルーバックス)、西尾幹二『国民の歴史』(文春文庫)、山田 康弘『つくられた縄文時代―日本文化の原像を探る―』(新潮選書)ほか
(馬場光太郎)