なんかアルボムッレ・スマナサーラの本とか読んでも、
「来世があるのかどうかはわからない、あるってことにしておけば怖がらないですむ。
仏教徒は来世があるからご褒美が欲しくて善行をするというのではいけない」と書いてあるけど、
別にご褒美が欲しいわけではなくて、来世があると思えばどこまでも自己向上の可能性もあるが、
ないんじゃ自己向上の時間も限界がある。モチベーション下がるよ

チベット仏教じゃそういう方便じゃなくて完全に事実として取り扱われてるんだよな