2002年(主日A年) 10月6日 年間第27主日
イザ 5:1〜7  フィリ 4:6〜9  マタ 21:33〜43

「だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」(マタ v.43)

この言葉の意味していることを、私たちはいつも十分に理解して来ました。
神はユダヤ人を退けられた・・・・ 。 そしてそれに代わって、教会は神の国を受け継ぐ新しいイスラエルとなったのだ ・・・・・ と。
人は他者の不運よりも自己の幸運に心を支配されると、それを当然のことのように思ってしまうものです。

神がこのマタイ福音書のテキストを用いて、21世紀を歩み始た私たち現代の教会に語っておられるのは、しかしそんな過去の事実の定義などではありません。
イザヤが歌い始たとき、人々は彼のある友人のぶどう畑についての話だと思って聞いていました。
しかし神はイザヤを用いて、他者ではなくて彼等自身のこと、イスラエルの民の咎と罪を宣言されたのでした。

そのように、このマタイ福音書のテキストも他者のためではなくて正に教会に向かって、終末の裁きを前提とした信仰の覚醒を呼びかけているのです。
終末の日には、キリストは私たちから 「収穫を受け取るために」(マタ v.34)来られます。
しかし私たち教会は 「ふさわしい実を結」(マタ v.43)んでいるでしょうか。
21世紀の教会は、今こそ永かった眠りから覚めなければなりません。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より