2003年(主日B年) 4月27日 復活節第2主日
使 4:32〜35  Iヨハ 5:1〜6  ヨハ 20:19〜31

教会はその誕生のときからミサを共にささげる群れでありました。
ヨハネ福音書とヨハネの手紙が特に強調している 「互いに愛し合いなさい」 と 「わたしの掟を守るなら」 という言葉は、いずれも共にミサをささげる共同体の形成を指していると理解すべきです。

ミサは、「キリストの業を現在に移すもの」(O.クルマン)であって、それは使徒の時代にもその後の時代にも区別なく永続するものです。
キリストは 「御自分の死をもってわたしたちの死を打ち砕き、復活をもってわたしたちにいのちをお与えになった。」(典礼暦年と典礼暦に関する一般原則 18)
「十字架のいけにえと、ミサにおけるその秘跡的再現は、奉献のしかたを除けば同一のものである。」(ミサ典礼書の総則 前文 2)
そして聖霊はこのミサにおいて、信者に神のことばの食卓の富を豊かに与えるために(典礼憲章 51)、また私たちがキリストの御からだと御血に共に与かるために働いてくださいます。

このような教会を生み出したものは使徒たちの宣教でありました。
それは最初からイエス・キリストについての宣教であり、救いの福音でありました。
現代の教会の宣教も、イエス・キリストの出来事についての使徒たちの証言の継続であって、その宣教に欠くことの出来ない要素は、その出来事の証人としての使徒たち自身であります。
神は今も私たち現代の教会に、聖伝と聖書が伝える使徒たちの証言を通して語り続けておられます。

「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(ヨハ 20:31 )

・・・・・ 以下、本文参照。
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