X



トップページ心と宗教
209コメント166KB
宗教信者は精神科いけよ [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/03/16(木) 20:48:51.16ID:lXnvXhPw
マジで
0053神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:25:26.62ID:LH9gf/UP
🌟  大川隆法著 「伝道の法」

 第3章 人類幸福化の原点

1 「宗教心」「信仰心」は、なぜ大事なのか

 「大悟三十五周年」「立宗三十周年」を迎えた幸福の科学

 幸福の科学にとって、二〇一六年は「大悟三十五周年」「立宗三十周年」であり、一つの区切りの年でした。
 立宗して三十年がたったので、宗教団体としては、ある程度、日本のなかにおいての地位は確立してきたと考えていますし、世界においても知られつつあると思います。
 海外で当会を知っている人の数を合計すれば、日本よりは、はるかに多いと思いますが、海外でも、まだまだ現在進行形で活動しているところです。
0054神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:28:33.77ID:LH9gf/UP
 私の生誕地である徳島県が、どのくらい海外で知られているかは知りませんが、いずれ徳島県は世界の聖地になると考えています。
 また、二〇一六年には、映画「天使に゛アイム・ファイン”」でも多少キャンペーンをしましたが、立宗三十周年を記念して、吉野川市の川島町に、「聖地エル・カンターレ生誕館」を建立させていただきました。
 内心では、多少、恥ずかしい気持ちがないわけではないのですが、記念になるものが何か一つぐらいはあったほうがよいのではないかと思っています。きっと、世界のみなさんが参拝に来て下さるようになるのではないかと信じています。
 未来の徳島県には、阿波踊りのときだけではなく、私の生誕日である七月七日あたりを中心にして、さまざまな機会に、全世界からいろいろな方が訪れるようになるのではないかと考えているので、徳島県の未来はとても明るいのです。
 以上を前置きとして、本章では、主として宗教的な話をしようと思っています。
0055神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:31:43.90ID:LH9gf/UP
  徳島県出身の「三木武夫・元総理の霊」を困らせた質問

ーー17行割愛ーー

 やはり、「四国の地は、弘法大師空海が八十八箇所の霊場を定めて以来、千年以上もの間、霊的な地として護られていた」ということが大きいのではないかと考えています。
 生まれ育った環境から、やはり、文化的なものの影響をそうとう受けるので、「そうした霊的な環境のなかに生まれた」ということが大きかったのではないかと考えているのです。
0056神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:34:55.53ID:LH9gf/UP
 「霊的なこと」を受け付けない、現代の学問や科学

 ただ、そういう信仰深い所に生まれたからといって、すべての問題が解決したわけではないことも事実であり、私の人生の大半は、「田舎的な部分と都会的な部分との葛藤を経ながら、成長してくる」という過程でした。
 世界の情勢や日本全体を見渡す意味において、四国は、そう有利な地だとは思いません。
 しかしながら、郷土の「純粋な信仰心」と、「日本全体は、今、どこを向いているのか。
世界は、どのような方向に向いているのか」ということを比べてみて、そのギャップを知ることは、「今、何をなさねばならないのか」ということを考える意味で、たいへん役に立ちました。「勉強になった」といってもよいかもしれません。
 四国の徳島に育ち、やがて東京に出ると、「常識」というものがかなり変わっている印象を私は受けました。
 簡単に言えば、「信仰心やあの世など、『霊的なこと』について表立って話をしても、あまり受けつけない」という感じでしょうか。コーティングされていて水を弾くような感じで、ツルンとしていて、まったく受け付けないような感じでした。
 学問においても、科学においても、あるいは都市文明においても、だいたい、そういうところがあったように思います。
 また、日本以外の国においても、先進国では、そういう点が非常に強いのではないかという印象を受けました。
 もっと話を大きくすれば、次のようなことが言えます。
 現代において、例えば、「霊界」「あの世」とか、「神様」「仏様」、あるいは、「高級霊」「菩薩」「如来」という言葉は、学問的には完全に死滅しかかっており、そういうものは「ないもの」とされています。
 そして、「目に見えるこの世だけを、どうにかよくして快適にし、幸福に暮らすのが、人間の目標、人類の目標だ」と考えるのが主流になっています。
 いろいろな学問があり、いろいろな専門がありますけれども、どれもこれも、「地球の表面上で起きていることがすべて」のように見えていて、
宇宙を見ても、「天体望遠鏡で見える世界がすべて」という感じで見ていて、これが「開かれた世界」だと思っている人が多数なのです。
0057神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:38:00.71ID:LH9gf/UP
   戦後の日本人の信仰心は「縁起を担ぐ」というレベル

 二〇一六年四月に出した、福田赳夫・元総理の霊言の「まえがき」にも書いておいたのですが、アメリカでアンケートを取り、「あなたは神を信じていますか」という質問をストレートにしたら、
九十八パーセントぐらいの人が「信じています」と答えることが多かったようです。
 調査によって少し違うこともありますが、だいたい九十八パーセントぐらいの人が「神を信じています」と答え、「信じていない」と答える人は二パーセントしかいないのです。
一方、日本では、「あなたは神を信じていますか」とズバッと訊いた場合、「信じています」と答える人は十数パーセントです。そういう答えは、十五パーセント前後、十五パーセントか十六パーセントぐらいしか返ってきません。
まともに「神を信じていますか」と訊いたら、一、二割の人しか、「信じています」と言えないのです。
 ところが、「あなたは正月に初詣に行きますか」「お盆にはお墓参りをしますか」「お守りなどを信じますか」「お祓いを受けたりしたくなることがありますか」などというかたちで訊いたら、
半数以上の人は、「そういうことはあります」と答えます。
 「神様を信じていない。仏様を信じていない」と言っても、「合格祈願」や「交通安全祈願」などのお守りを持っていたりするのです。
 神も仏もなかったら、そういうものを持っていても意味がないと思うのですが、「『縁起を担ぐ』というレベルぐらいの薄い信仰心がったら、この世の今の進化についていくことができ、共存できるぐらいの範囲でいられる」という感じでしょうか。
それが今の日本の常識なのではないかと思います。
0058神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:41:08.78ID:LH9gf/UP
 しかし、これは、世界の常識からみれば、かなり外れているわけです。 ただ、決して、昔からこうだったわけではないのです。
第二次世界大戦後、この風潮が極めて強くなりました。
新しい憲法ができ、政治と宗教の分離を決められ、「学校教育から宗教を追放する」ということが行われてからは、宗教は一種の迷信扱いをされてきたのですが、それ以前もみな、そうだったわけではありません。
 つまり、戦後の七十年余りが「異質」なのです。
その前の日本人は、「神を信じていますか」と訊かれたら、今のアメリカ人が答えるように、九十八パーセントぐらいの人は、「神様や仏様ぐらい、いて当たり前でしょう」と答えたと思います。
 戦争で敗れた国の価値観が、全部間違っていたかというと、そんなことはありません。
「そこまで自虐的になってはいけないのだ」ということを申し上げておきたいのです。
 一部、物質文明のなかで勝ち負けが生じることはありますが、「それによって、今まで持っていた伝統が全部否定されたり、信じていたものが全部崩れたりする」というのは行きすぎであって、やはり、きちんとした揺り戻しがあって、元に戻らないといけないわけです。
0059神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:44:10.08ID:LH9gf/UP
  霊言集を何百冊も出し、霊人たちの「個性の違い」を示している

 「そういう気持ちになっていただきたい」と思って、三十年間。幸福の科学の活動をしてきました。
 私自身、説法を数多く行い、また、理論的な本をたくさん出してきたのですが、それ以外にも、霊言集というものを、相当の数で出してきました。
 「霊言集を出さなくても、総裁の考えとして教えを説けば十分ではないか」と言う方もいますし、私もそう思って、十数年間、新たな霊言集を出さずにいた時期もあります。
 しかし、だんだん、若い人が生まれて大人になってくると、「霊言」というものを知らない人が増えてき始めました。
 「え?あの世ってあるの?死んでも人間としての個性がそのまま残っているなんてことが、あるんですか。脳が魂なんじゃないんですか。
脳が停止したら、人間として終わりなんじゃないですか」と考えて、このあたりを「当たり前で、常識だ」と思っている人がすごく増えてきたのです。
 「魂やあの世などと思っているのは、脳や神経の作用だ」と思っている人が大勢いるわけですが、火葬場で焼かれてからも思考力が残っていたら、「そうではない」ということになるでしょう。そこで、霊言集を数多く世に送っているのです。
 そのなかには、私の考えとは多少ずれている意見のものもあります。その人特有の考えがあるので、私の考えとは、ずれているものもあるのです。
 そういう意味では、「教義の統一」は難しくなるのですが、「この世で個性が違うように、死んで、あの世に還っても、個性の違いはそのままあるのだ」ということをお教えするために、たくさんの霊言集を出してきました。
 それはどういうことかというと、みなさんは、今世に生まれて、何十年かの人生を生き、やがて、あの世に還ります。「みなさんは、死んで、肉体を火葬場で焼かれ、お墓に入れられたら、それで終わりではないのですよ」ということを意味しているのです。
 これは、すごく大きなことなのです。
0060神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:47:07.50ID:eRuZFkXN
 信仰の「無限界の力」、病が分らなくなる奇跡。
0061神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:47:15.60ID:LH9gf/UP
  信仰心には「この世を善良にしていく力」がある

 死んで、火葬場で焼かれ、お墓へ入れられ、それで終わりだったら、「残された時間で、とにかく自分が満足できるように、快適に、エゴイステイックに生きればよいのだ」と思うかもしれませんが、
「もし、『死んで終わり』ではなかったとしたら、どうするか」という観点から考えると、人生はコロッと変わってくるわけです。
 さらに一歩進めて言えば、昔の人が言っていたような、「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが見ているのですよ」というあたりから始まって、「神様、仏様があなたの人生を見ているのですよ」という言い方もあります。
 これは、「今では、笑う人が大半だろう」と思うようなことでしょうが、もし、これを「本当だ」として、
「神様、仏様が見ている」「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが、私の一生をずっと見守っている」と思って生きたら、悪いことの一つも、なかなか、そう簡単にはできません。
 子供でも同じです。中学生や高校生で、「コンビニには、夜間、店員は一人しかいなくて、とろいから、二つか三つ商品を゛持っていって”も、分からないだろうな」という気持ちがあったとしても、
ふと、「やはり、お祖父さんが見ているかもしれないなあ」と思ったり、「仏様は見逃さないだろうなあ」と思ったりして、それを止めようとする力が働いてくることがあります。
 こういうものが実は信仰心の力なのです。信仰心には、実は、「この世を善良にし、道徳的に推し進めていく力」があるのです。
0062神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:50:22.58ID:LH9gf/UP
 「自分ならざるものが自分を見守っている。ほかの人が見ていなくても、別の世界から自分を見守っている存在、自分の一生をジーっと見守っている存在がいる」と思うことによって、自分の人生を正すことができるようになるわけです。
 ただ、「丸見えで、監視カメラで見られている」というようなことが感じられると、人生は不自由なので、それが分からないようにはなっています。
「自分がやっていることを見られていない」と思って生きていられるようにはなっているのです。
 しかし、時折、そういうものを霊感的に感じたり、自分の両親や親戚などから、そういう宗教的な話を聞いたりすることがあり、それで、ふっと気がつくことがあります。
 そういうものの存在を忘れないようにすることは、とても大事です。そのような「宗教心」「信仰心」というものは大事なのです。

::>>60 面白いこと言うね
0063神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:53:24.47ID:LH9gf/UP
2 善悪を分ける「二つの方向」

  毎日、W幽霊”の相手をしている私でも、ホラー映画は怖い?

 今、日本で広がっている「霊的なもの」や「宗教的なもの」のなかには、残念ながら、誰もが怖がるような内容を持っているものが非常に多くあります。
 私は毎日のように、霊言を録ったり、あの世の方と実際に話をしたりしています。そして、それを本にしたり、映像として公開したりしています。
「そのような人間は、あの世の人など別に怖くも何ともないだろう」と思うでしょう。公式的には、そうです。全然、怖くも何ともありません。
 ただ、そんな私でも、「リング」だとか、「らせん」だとか、「着信アリ」だとか、「エクソシスト」だとか、そういうホラーものの映画を観ていると、やはり怖いのです。
「うわっ、怖い、怖い。ぞくぞくしてくる」と思ってしまいます。
 しかし、ふと気がついて、「あれ?私は毎日、W幽霊”の相手をしているのだから、怖がってはいけない」と思うことがあります。
「そういうものをつくっている人は、『怖がらせよう』と思っていて、霊などについては、話には聞いているかもしれないが、よく知らずに作っているのだ。
毎日、あの世の人と話をしている私が、そういう人が作ったものを見て怖がってはいけないな」と考え、思い直すことがあるのです。

 ただ、時々、仕事をしていて、「この世は、なかなか手強い。難しいなあ。もう、どうしようもないな」と思うようなときに、つくりものではあっても、ホラー物を観ると、身震いというか、武者震いをして、
「これは戦わねばならん」という気になることもあるので、そういうものの効能がゼロというわけではありません。
0064神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:56:28.21ID:LH9gf/UP
  悪魔を退散させるには、悟りに伴う「法力」が要る

 特に、エクソシスト(悪魔祓い師)ものの映画では、バチカン公認のエクソシストたちが悪魔と戦ったら、たいていコロコロと負ける話になっています。
 登場人物たちは、窓から落ちたり、階段を転げ落ちて死んだりするのですが、あまりにも情けないので腹が立ってきます。
 私も悪魔を数多く相手にしたことがありますが、私はあんなに弱くはありません。映像でご覧になった方もいると思いますが、たいてい、数秒ぐらいで退散させているので、簡単なのです。
「出ていけ!」と言ったら、バーンと出てしまいます。(注。『エクソシスト入門』等参照)
 それほど力の差があるので、映画のようにはならないのです。
 映画では、バチカン公認のエクソシストたちが、ラテン語の『聖書』を読み、十字架を掲げ、「聖水」という水を振りかけても、向こう(悪魔)は笑っていて、全然、出ていかないわけです。
 しかし、本当に「悟り」を持っていて。その悟りに伴って、「法力」というものがあったら、悪霊(あくれい)、あるいは悪霊(あくりょう)、悪魔というようなものであっても、退散させることができます。
 悟って、日々、それを実践している人には、一種の力がついてきます。禅定をすれば、「禅定力」というものがついてくるように、いろいろな修行をすれば、力がついてくるのです。
 四国では弘法大師の密教が流行っていますが、弘法大師の一生も、おそらくWエクソシストの一生”であっただろうと思います。いろいろな悪魔祓いをたくさんやっていただろうと思うのですが、私にはそれがとてもよくわかるのです。
0065神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/01(火) 23:59:33.19ID:LH9gf/UP
  「人の幸福と不幸のどちらを願うか」が人間の方向を決める

 死んで浮かばれていない人、例えば、交通事故で亡くなったり、急な病気で亡くなったりして迷っている人の霊が出てくるのは、よくあることであり、おかしくも何ともないのです。
ただ、その奥にあって、そういう霊たちを地獄に引きずり込もうとしたり、あるいは、そういう霊たちを、ある家庭に解き放ち、その家庭をもっと不幸にし、目茶苦茶にしようとしたりする霊人がいます。
 そういう事を本当に計画的に考え、後ろから操っている霊人がいるのです。
 こういう者と対決することもありますが、やはり、許しがたいものはあります。
 自分一人が不幸であることについては、多少、受け止めなくてはいけない面はあるかもしれませんが、自分が幸福になれないときに、せめて、他人を不幸にし、それを嘲笑って快感を味わおうとする人が、世の中にはいるのです。
 それは、例えば、自分はお金儲けに成功しなかったけれども、他人がお金儲けに失敗したり、破産や倒産をしたりしたら、「ざまを見ろ」と言って喜ぶ人です。
あるいは、自分の病気が治らないときに、隣の誰それさんがガンになって死んだと聞いて、「ざまを見ろ」と思う人です。
 そのように、他人の不幸を見たら、胸がスッとしたり、「許せる」という気分になったりする人は、やはりいると思うのです。
 ただ、「これは、人間として考えて、やはり最低の心だ」ということを知らなくてはいけないと思います。
 環境や政治制度、周りの影響によって、自分が幸福になれないこともありますし、たまたま家庭に恵まれないこともありますが、自分が恵まれないこと、あるいは、現在、幸福感を得られないことには、何らかの理由があることもあります。
 そういうことも、やはり、よく考えるべきです。それをもって、「ほかの人の不幸を願う心」のほうに向かっていくようであったら、これは、いわゆる「悪霊」や「悪魔」の気持ちに通じていくものなのです。そのことは知らなくてはいけません。
0066神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:02:38.07ID:53W3N24m
 原理は簡単なのです。それほど大きく難しいものではありません。
 「他人さまの幸福を願う方向」で考えているか。「他人さまの不幸を願う方向」で考えているか。どちらを願うかが人間の方向を決めるのです。
 もっと簡単に言えば、他人の幸福を願いながら数十年の人生を生きた人たちは、基本的に、天国という世界に還ることになっています。
 あの世の天使や菩薩たちも、そういう人が亡くなったら、きちんと「お迎え」に来て、行くべきところへ連れて行ってくれます。
 ところが、生きているときに、何か他人の不幸を願っていて、実際に、それに加担するというか、悪霊や悪魔たちがやっていることを、この世に生きながら、一緒になって行っている人がいます。
 例えば、いじめです。映画「天使にWアイムファイン”」にも、いじめの問題が出てきました。周りが何人かでいじめをやっているときに、「そんなことをやってはいけない」と思いつつも、自分も参加することで快感を得たりする人がいます。
あるいは、「いじめに参加することで、自分がいじめられなくなる」と思い、いじめっ子グループのなかに入ることで身を護ろうとする、卑怯な心をもって生きている人もいます。
 どちらも同じであり、やはり、他人の不幸を願う方向に引っ張られていきます。
 善悪と言っても、基本的には、そういうことです。
 ほかの人の幸福のほうを選ぼうとするか、ほかの人を幸福にするように、自分の人生をつくりあげていきたいか、そういう人生を生きたいか。そういう仕事をしていきたいか。それとも、反対に、他人さまの不幸を願う方向で生きたいか。その二つに大きくは分かれます
 細かくは、それぞれのケース分けがいろいろあるとは思いますが、基本的には、そういうことなのです。
0067神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:07:49.43ID:53W3N24m
  「ほかの人の幸福を願う人間」を地上に増やしていく
0068神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:13:00.56ID:53W3N24m
  「ほかの人の幸福を願う人間」を地上に増やしていく

 幸福の科学が目指している「人類の幸福化」とは、どういうものでしょうか。
 私どもは、基本的に、「ほかの人の幸福を増やしていくようなことを願っている人間」を、この地上に増やそうとしています。

 「世の中を悪くしよう」とか、「他人を不幸にしよう」とか、そのような気持ちになり、「それが当たり前なのだから」と思い、そちらだけで行ってしまっては駄目です。
 人間の持っている動物性というか、動物的本能としては、当然、自分の身を護り、ほかの人を蹴落としたり、そういうことを思ったりします。
 動物は、みな、「食べられる恐怖」でいっぱいです。「食べられる恐怖」と「飢え死にする恐怖」が、動物たちの持っている基本的な恐怖です。この二つから逃れることは、ほぼできません。一生、「植える恐怖」と「食べられる恐怖」「殺される恐怖」でいっぱいなのです。
 それが人間世界でも広がりつつあるわけです。
 
 しかし、私たちは、もう一度高度な存在として、やはり、善悪の観念をはっきりと持たなければいけないのです。
 善悪は、個別具体的には難しいものがあり、何とも言えないところはありますが、大きく言えば、前述したように、「他の人々をその方向で引っ張っていくことが、他の人々を幸福にするのか、不幸にするのか、それをよく考えて生きなさい」ということです。
 原点は、ここにあるのです。
0069神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:17:12.34ID:Kik0SFec
そんなに世の中単純ならwwこの世に不幸なんてないわ
昔婆ちゃんと見ていた時代劇「水戸黄門」の世界では
善人と悪人がハッキリ分かれていて
悪人は顔つきまで悪くてわかりやすいww

人間なんてある時、善人に見えと思ったら、善人ってかね正義の騎手
または英雄、救世主…まぁ何でもいいがww
気が付いたら残虐な独裁者、迫害者、極悪人に見えるんだよ
どっかの国の指導者さまなんてね
叔父さんを犬に食わせ、実の兄を公衆の面前で殺害し(他説があるがww)
父親の時代の幹部を百人以上粛清し、民衆を処刑したり強制収容所送りにしたり人権侵害しまくりなのに、つくられた平和友好ムードで
一気に平和の使者だぜww、ノーベル平和賞なんて声まで上がってる
何なんだ?残酷な支配者→平和の使者っておいおい
0070神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:18:05.03ID:53W3N24m
3 政治問題を宗教の立場で考える

  「自衛隊員の命を護れ!」といった民進党幹部

 「善悪」は、大きく言うとそういうことですが、個別に見ると、難しい問題もあります。
 宗教団体の多くは、今、政治問題としては、「反戦」「平和」「環境保護」等に取り組んでおり、そちらのほうを支援する方向に行っている団体が多数です。お坊さんたちもそうですし、新宗教もキリスト教も多数はそうです。
 「反戦」「平和」「環境保護」「沖縄のジュゴンを護れ」などの言葉は、耳触りがとてもよく、訴えていて気持ちがよいのです。

 一方、例えば、W戦争法案”と言われている、日米が共同で軍事行動をとれるようにする安保法案は、「よろしくない。戦争に巻き込まれるではないか」と言われたりしています。
(注。安全保障関連法は、2015年9月30日公布、2016年3月29日から施行された)。

 民進党の政調会長になった方が、「自衛隊員の命を護れ!」と言っているのを聞いて、私は引っ繰り返りそうになりました。
 「ええっ?自衛隊員が日本国民の命を護るのではなかったのですか」と思い、一瞬、耳を疑ったのです。
 例えば、火災が発生しているときに、「消防隊員の命を護れ」と言って、一生懸命、消防車の前で演説している人がいたら、
普通は、「あなた、何を言っているのですか。火事で燃えている所から、命を懸けて人を助け出すのが、消防隊の仕事でしょう?火消しをするのが消防隊の仕事でしょう?」と言われるでしょう。

 「消防隊員の命を護れ。出動しては相ならん!」と言ってる人がいたら、「ちょっとおかしいのではないか」と思うのが常識でしょう。
 そのように、生命の危険を伴う職業も世の中にはあります。
 警察官もそうです。「警察官の命を護れ」と言っていたら、警察官は危険な所には出かけなくなります。「今、ナイフを持った男が家に押し込んできました。来てください!」と言われたのに、警察官が、「いや、私も怖いから行きません」と言っていたら、仕事になりません。
これでは単なる「税金泥棒」です。そうとしか言いようがないのです。
 職業によっては、他の人を護るために、生命の危険を伴う働きをしなくてはいけない人もいるわけです。
0071神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:21:58.42ID:Kik0SFec
救世主だと思ったらいつの間にか迫害者に、正義の味方だと思ったら卑劣な悪党に
味方だと思ったら敵に、賢明な人だと思ったら愚者に、相手に何を見るか?ww
この世界をどう見るか?見方をちょっと変えると(見方が変わると)
全く違う対象がそこにいるんだよ?www
0072神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:23:10.69ID:53W3N24m
  宗教系統の人たちが「悪」に対して勘違いしてはいけないこと

 宗教で言えば、私たちもそうです。
 前述したように、この世の人が死んで不成仏になっている場合もあります。それはよくあることではありますが、
それ以外に、(生きている人のなかで)大きな野心を持ち、この世の中を悪くしようとしている人たちが動いているときには、やはり、これを止めようとして、現実の行動を起こさなければいけないこともあります。

 そのためには、「個人の力」だけでは駄目で、多くの人たちの「集合の力」が要ります。たくさんの人の思いを集め、その悪くしようとしている「方向性」を変えていかなければならないのです。
 そのあたりを勘違いしてはいけないと思います。よく考えてください。
 「平和」や「環境保護」を訴える人たちはいますし、宗教系統の人たちも、そういうことを言うのがすごく好きです。私も、できればそれを言ってみたいと思ってはいるのです。

 しかし、その結果、最終的に卑怯な自分をつくり、他の人々の幸福についてはどうでもよく、無関心で、「ただただ自分のことだけをやっていればよい」という気持ちになるのであれば、問題があるのではないでしょうか。
 このあたりは、もうすこし賢くないといけないのではないかと思います。
0073神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:24:43.71ID:Kik0SFec
この世界、現象の世界がそうだ、見方によって、見るところによって
その時の考えや気分で、見え方が全く違う
なんて素晴らしいんだろうって時もあれば、なんて酷い(悲惨な)んだろうって時もある
さて、何が見えるか?ww
0074神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:28:14.89ID:53W3N24m
  地震が多発するときには国が乱れている

 地震も、現在ただ今のテーマではあるのですが、非常に難しい問題です。
 地震が起き、被災して、亡くなる方や救助を求める方がいます。そういう人を助けに行くのは英雄的な行為ですし、それに反対する人は誰もいません。

 幸福の科学も、これまでずっと、炊き出しをしたり、給水をしたりしてきています。これは当たり前のことであり、全然、批判すべきではありません。
 ただ、その原因のところ、「なぜ、そういう地震が起きるのか」ということについて、唯物論的にだけ考え、「断層があるから起きるのだ」などという人もいるのですが、「ちょっと待ってください」と言いたいのです。
0075神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:31:49.73ID:Kik0SFec
この世界は私たちの心の有様が映し出されているよ
だから矛盾だらけで、争いが絶えない

頭のおかしな奴がアイドルの恋愛が発覚したとき
俺のイメージと違うといって怒りだして刃物で切り付けた事件があった?けど
勝手に理想のイメージを相手に投影しているだけなのに
思っているのと違うと言って相手を非難する
相手に何を見るかは主観による、そしてその主観は…当てにならない
見え方が変わるからだ
0076神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:33:18.92ID:53W3N24m
 断層は昔からいくらでもあるのですが、「なぜ、それが今、活発化しているか」というところが問題なのであり、それを私どもは調べていっているわけです。

 日本列島は世界の地震の一割ぐらいを起こしており、地震そのものを止められるわけではないのですが、過去を調べてみても地震が多発するようなときには、やはり、国が乱れているときがすごく多いのです。

 国が乱れるときには、「地震」「津波」「火山の噴火」「飢饉」「疫病」などが流行ります。そういうときに、いろいろな宗教家たちが出て、新しい教えを説いたりします。
あるいは、政治においては革命が起き、幕府が倒れ、新しい政権に替わったりします。そのようなことがたくさん起きています。

 それは、天から見放された場合のことだと思うのです。
0077神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 00:38:25.30ID:53W3N24m
  日本に関係する神々は「世直し」を促している

 近年では、「阪神・淡路大震災」あたりから始まって、「東日本大震災」や熊本での地震というかたちで、大きな地震が続いています。
 ここ二十年から二十五年の間、日本は経済停滞の時期に入っていますが、「どうやら、天上界は、あまり良い思いを持っていないらしい」ということが分かります。「日本に関係する神々も、これをあまりよしとされていない」ということが分かるのです。

 「この国は、もう一段、力強く発展して、世界のリーダーになるべき立場にあるのに、それを放棄しているのではないか」という不満がおありなのではないかと私は思います。
 そういう意味で、「世直し」を促していらっしゃるのではないでしょうか。それが、私たちがキャッチしている霊界情報です。

 幸福の科学に関して言えば、「幸福の科学というものを三十年ほど前に立宗したのに、まだ、こんなものか。この程度しか進まないのか。何をしているのだ」と、むしろ叱られているのではないかと思っています。
 「三十年たって、まだ、こんなものか。もっともっと「世直し」ができるかと思ったのに、進んでいないではないか」というようなことを問いかけられているのではないかと思い、私のほうは責任を感じています。

 もう一段の大きなうねりの力があってもよいですし、そういう力が日本国中で湧き上がってこなければ、世界にまでは、なかなか手が届かないのが現実なのです。この悔しさには何とも言い難いものがあります。
0078神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/02(水) 01:31:25.71ID:53W3N24m
  徳島県には「エル・カンターレ空港」があってよい

 四国の皆さんは、「熊本や大分のあたりで断層が動き、地震がたくさん起きている。
『中央構造線』は、愛媛県の松山辺りや徳島県の吉野川付近までつながっているので、その辺り全部で地震が起き、四国が半分ぐらいに割れるのではないか」というようなことを妄想し、怖がっているかもしれません。

 どっこい、四国は私の生誕の地です。そんなことは許しません。

 これから、幸福の科学の基本的な思想や考え方、人類を幸福化するためのエネルギーを、世界に流していきたいと思っています。

 その中心地、発信地であり、私のゆりかごというか、揺籃というか、生まれの地、足場において「弱い」ということには、やはり、何んとも言えないものがあります。

 例えば、高知には「高知龍馬空港」があり、徳島にも「徳島阿波おどり空港」がありますが、「阿波おどり」でなくてもよいのではないでしょうか、
「徳島エル・カンターレ空港」という名称であっても全然悪くないのではないかと思いますし、世界の人には、その方が分かりやすいのではないかとも思うのです。

 「そう思うところぐらいまではやらないと、徳島の信者、あるいは四国の信者としては、力が少し足りないのではないか」という気がします。私が、そのような強い後押しを地元から受ければ、とてもうれしく感じます。

 私は四国出身ですし、徳島県出身なので、徳島に不利になるようなことを考えたりしないつもりでいるのですが、まだ、それだけのご信頼を十分に得ていないので、残念な気持ちでいっぱいです。

 私の講演会のうち、例えば、七月の「御生誕祭」や十二月の「エル・カンターレ祭」は、地方のテレビ局では、今、六、七局ぐらいで放送されているのですが、まだ私の地元辺りでは放送されておらず、テレビ和歌山を観なくてはいけないのではないかと思います。

 「まだ、地元の盛り上がりが、やや欠けているのではないか」という気がしているので、もう一段、「本拠地の強さ」というものを見せていただきたいと思います。

 天理教は、奈良県に天理市ができてしまうぐらいの強さを持っているわけですから、「本拠の強さのようなものがあってもよいのではないか」という気持ちは持っています。
0079神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 00:03:26.33ID:ua9qw/Sh
4 伝道で「救いのチャンス」「悟りのよすが」を与える

  この世とあの世の間の垣根を跳び、真理をつかめ

 私が述べたいことを整理します。
 最初に、「真実は何か」ということを確定しなければいけません。
 この世に生きている人は、学校での教育だけでは、「人間は、魂がある存在なのか、肉体だけの存在なのか、ということが分かりませんし、学校教育には、どちらかといえば、「目に見えるもの、肉体だけが自分なのだ」と教えるような傾向が出てきています。
 「肉体が自分だ」という考えのなかで道徳を説いても、それは交通ルールを教えている程度にしかすぎないことが多く、精神性が足りません。
 精神性を高めるためには、「真実の世界」について教えなければいけないのです。
 したがって、教育者や社会的地位のある方々が、きちんとした信仰心を持っていることが非常に大事です。そういう偉い方々には、「真実の世界」について勉強し、きちんと知っていてほしいのです。それから、知識階級の方にも勉強していてほしいのです。
 近代の原理のなかでは、とにかく、科学的にも、「疑い」というものを中心に据えたりもしていますし、ジャーナリスティックにも、疑って疑って、真理をつかむ」というような考え方が、けっこう強く出てきています。
 しかし、疑うことだけが真理を得る方法ではありません。真理というものには、一気に飛び込まないと得られないところもあるのです。
 この世とあの世の間には、どうしても垣根があるので、その垣根を跳ばなくてはいけません。あるいは、溝というか、谷を跳ばなくてはいけないのです。思い切って跳ばないかぎり、つかめないところが真理にはあるのです。
 「信仰を持つ」とは、そういうことなのです。どこかで跳ばなくてはいけないのです。
 ところが、どう見ても、谷の幅がかなりあるように見え、跳ぶと落ちそうに思えるために跳べません。
これが普通の人間なのですが、この世に毒されていくうちに、だんだん、それがすごく難しいことのように感じられ、「向こうに行ったら、怖いことが起きるのではないか」と思うようなところがあるのです。
 しかし、「真理は何であるか」ということを確信したら、その真理をガシッとつかまなくてはいけないのです。
0080神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 00:07:05.19ID:ua9qw/Sh
  私と釈尊に共通する「過去・現在・未来を見通す目」

 もう学問も駄目になってきているのですが、ものを扱う唯物論的な学問だけが駄目になったのではなく、宗教学や仏教学なども駄目なのです。
これももう哲学のようになってしまっています。
 二千五百年以上前のお釈迦様の教えも、人間の頭のなかで考える哲学になってしまい、哲学をひねくり回しているようになっているのです。
 仏教系の大学があっても、そこで教えていることも、そういうものです。
「とにかく座禅の作法を守れ」とか、「念仏を称えろ」とか、「『南無妙法蓮華経』と唱えろ」とか、とりあえず、かたちをつくることまでは教えるのですが、中身がありません。
中身については信じていないのです。
 例えば、「お釈迦様は、ヨガの行者のように座禅をしていただけなのだ」と思い、「質素に生活して座禅をしていれば、それで済むのだ」というように考えている人が、けっこう多いのです。
 しかし、それは違っています。
 確かに、座禅をしたり精神統一をしたりしてはいましたが、釈尊の人生を見てみると、「菩提樹下で悟りを開いたときに、三明を得た。三つの明かりを得た」と、はっきり書いてあります。
 三明とは何かと言うと、「過去を見通す目」「現在を見通す目」「未来を見通す目」の三つのことです。「悟ったときに過去・現在・未来が分かるようになった」と仏典にはっきり書いてあるのです。
「三明を得る」とは、そういうことです。
0082神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 00:10:34.92ID:ua9qw/Sh
 三明とは何かと言うと、「過去を見通す目」「現在を見通す目」「未来を見通す目」の三つのことです。
「悟ったときに過去・現在・未来が分かるようになった」と仏典にはっきり書いてあるのです。「三明を得る」とは、そういうことです。

 「過去が分かる」とは、どういうことでしょうか。
 幸福の科学の会員、信者の皆さんはご覧になったでしょうが、当会の支部や精舎では、私が行った「過去世リーディング」の映像を観ることができます。
 そのなかで、私は対象者について、「前世はどうであるか。その前はどうであるか。どういうカルマを持っているか」ということなどをリーディング(霊査)しています。
 そのなかでは、「今回は女性だが、前世では男性だった」「今回は男性だが、前世は女性だった」「前世でこんなことをしていた」ということがたくさん出てきています。これは「過去を視ている」のです。

 そして、「それが、今、どのように影響しているか」ということなどを考えたりします。
例えば、家庭または親族で問題が起きているとき、「これには、今、こういうものが霊的に働いている」とか、「こういう原因がある」とか、こういうものを見抜きます。これは「現在を視る目」です。
 あるいは、「世界の情勢が、今後、どうなるか」というようなということを視ることもできます。
例えば、「中国の習近平氏の心のなかは、どうなのか」などと言うことを見通します。これも「三明」のなかの「現在を視る目」です。
 「習近平氏は、今、心のなかで、こんなことを考えている」とか、「ドナルド・トランプ氏は、今、こんなことを考えている」とか、こういうことを見抜くのが宗教者の力なのです。
他の人の心のなかが読めるわけです。

 さらには、「未来を見通す目」で、「未来は、どうなるか」ということを読むことができます。
 そして、未来が読めたら、「人間の生き方や人類の未来は、それでよいのかどうか」ということを考え、「よろしくない」と思うなら、それを転換すべき思想を発信しなくてはいけません。
考え方を出して、「こちらの方に行きなさい。こういう考え方に変えなさい」と言わなくてはいけないのです。
 こういうものが「三明」ですが、「釈尊は、悟りを開いたときに三明を得た」と言われているのです。
0083神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 00:14:35.58ID:ua9qw/Sh
  「六大神通力」を得て、遠隔透視等ができた釈尊

 また、釈尊は、これ以外に、「六大神通力を得た」とも言われています。六大神通力には、いろいろな能力がありますが、どれも霊能力に関係することです。
 霊能力に関係する神通力を得た人が、「あの世はない。神も高級霊も存在しない。死んだら何もかも終わりだ」という教えを説いたはずがないのです。

 そういう、根本的で当たり前のことを、大学者や、偉い階級にいる僧侶が分からなくなっています。
 釈尊の時代には今のような交通機関がなかったため、精舎と精舎の間を歩きながら伝道していましたが、それは、今、「回峰行」という、山のなかを歩いたりする修行になったりしています。しかし、それは外見のところだけを見ているのです。
 それから、座禅をしている人も、外見のところを見ており、中身のほうが見えていません。

 釈尊は、いったい、どういう体験をしたのでしょうか。
 実は、「瞑想によって実在世界と同通する」という修法を行じていたのです。だからこそ、新しい智慧をいろいろと得ることもできましたし、禅定しながら、はるかに離れた所、何百キロも離れた所にいる人たちの姿を視ることもできました。

 釈尊は菩提樹下で悟りを開いたころに遠隔透視をしています。そういう話が仏典に載っているのです。
 仏典につきものの鹿の園、鹿野苑という所に、以前、釈尊と一緒に修行していた五人の修行者たちがいたのですが、何百キロも離れているにもかかわらず、釈尊は、そのことを遠隔透視し、最初の法を説いて法輪を転じようと、そこに向かって歩いていっています。
 釈尊には、「かつて自分と一緒に修行をしていた人たちが、今、どこで何をしているか」が視えたのです。
0084神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 00:18:44.80ID:ua9qw/Sh
 今、私があらわしている能力、すなわち、いろいろな著書や映像等でお見せしている能力と、釈尊が持っていた能力とは、ある程度、似通った能力です。
 ただ、若干違う面もあります。私は、例えば、「宇宙人リーディング」を行うこともありますが、これは、話が何億年も前までいくので、話が大きすぎて、「信じられない」という方も当然いるかとは思います。

 一方、仏教には、『ジャータカ物語』というものがあって、過去世の話、ずっとずっと昔からの転生輪廻の話がいくつも出てきます。大部分は説話風になっていて、そのとおりには信じられないものが多いのですが、「過去世がたくさんあった」という話を釈尊はしています。

 釈尊は、リーディングをしながら、「こういう転生輪廻の結果、今、あなたには、こういう魂の傾向が出てきている」と言い、「だから、今、病気が出てきている」とか、「だから、今、こういう家族問題が出てきている」とか、
「今、仲の悪い二人になっているけれども、前世では敵同士であったのだ。そういうことを思い出して今世では仲良くしなさい」とか、そのようなことを言っていたのです。

 そういうことが分かったあとで、仏教の教えを読み直してみると、全然違った面が見えてきます。

 しかし、鎌倉期の仏教者たちであっても、そういうことがほとんど分からない人が多いのです。

 一方で、私が見るに、空海はかなり霊体験が豊富なので、「ある程度まで分かっていたのではないか」と思うところはあります。
0085神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 00:22:18.10ID:ua9qw/Sh
  自分自身の心を磨くとともに、周りに法を伝えていく

 私がみなさんに説きたいのは次のようなことです。
 「個人としての悟り」を求める修業は、あくまでも、最初から付きまとっています。「自分自身が悟りを持ち、その悟りの力でもって自分自身の心を浄化し、自分自身の真なる幸福感を高める」という修行は、一生、ついて回るものです。
 そして、「自分自身の心を、どのようにつくり上げたか」ということが、死んであの世にもって還れるもの、そのものなのです。

 この世でつくったものは、全部、あの世には持って還れません。あの世に持って還れるのは、みなさんの心しかないのです。
 心しか持って還れないので、「心をよく磨き、正しい方向に向けて日々に精進し、あの世に還る」ということが、みなさん個人にかかわる「第一の悟り」です。

 そして、「第二の悟り」とは次のようなものです。
 人間は、一人で生きていくものではありません。人間は、たった一人で生きるものではなく、やはり、集団で、大勢で生きているものなのです。
 そういうことを考えたら、「今の時代に、似たような環境のなかに生まれ、同じ地域、あるいは同じ職場で生きている人たちがいる。
たまたま縁があって、今、同時代に生きているのだから、彼らにも『救いのチャンス』を与えたい。彼らにも『悟りのよすが』を与えたい」と思わなくてはなりません。

 「法を伝える」「教えを伝える」という行為は「伝道」とか「布教」とか言われていますが、これは非常に大事なことです。
0086神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 00:27:08.51ID:ua9qw/Sh
 宗教的なことは学校では教えてくれません。また、昔は、家庭にも学校としての機能があったわけですが、今はもう、家庭が学校としての機能を失い、宗教教育や魂教育の場としての意味を失っている時代です。

 「学校で駄目、家庭でも駄目」ということであれば、誰かが宗教的に導いてくれないと、縁に触れないままで終わってしまうことがあるのです。そういうことを知っていただきたいと思います。

 自分だけがよくなるのではなく、自分の周りにいる人たちにも真理の世界に目覚めていただき、さらに、真理に目覚めた者同士が手を携えて、
「ユートピア社会をつくっていこう。この世をよくしていこう。この世を仏国土にしていこう」と考え、そのための現実の活動に取り組んでいくことこそ、大事なのです。それを言っておきたいのです。

 したがって、心のなかで思っているだけでは駄目です。せっかく、この世で修行場を頂いたのだから、この中でユートピア化をしていかなくてはなりません。
「この中で、どう生きたら、どう共に考えて生きたら、世の中はよくなるか」ということを考えていかなくてはならないわけです。
0087神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 00:44:15.41ID:ua9qw/Sh
5 「生涯現役」の人生に向けて

  税金を投入しなければ、公認の老人ホームは成り立たない

 NHKはW老後破産”を扱った番組を放送し(2016年4月)、「年を取ったら、お金が無くなって、野垂れ死にするぞ」というような脅しをかけていました。
 それは、「親子で住んでいても同じことだぞ。親子で住んでいても、子供が親の介護をしなくてはいけないから、子供が働けなくなり、親子が共倒れになるぞ」というような内容でした。「NHKスペシャル」で、そんなものを流していましたが、これは考えものです。
 結論は何なのでしょうか。要するに、「老後はお先真っ暗だから、とにかく、どこからでもよいので税金を持ってきて、ぶち込め」と言っているようにしか聞こえないのです。

 また、NHKでは、老人ホームのことを取り上げても、だいたい、「無届け老人ホームは、けしからん」という感じで報道していました。
 しかし、よく考えてみてください。
 「公認されている、有料の老人ホームに入ったら、月額で約二十五万円も要る」などと言われています。一人で月額二十五万円も要るとなると、これはけっこう大変です。それだけのお金はなかなか出せません。
 一方、月額約十万円の料金でやっている老人ホームは、「無届け老人ホーム」と言って責められているわけです。
 老人ホームは、今の制度では、どう考えても経営的に成り立ちません。

 私ども幸福の科学は宗教なので、「老人ホームもつくってみたい」と思い、少し実験を開始しているのですが(シニア黄金館)、今の規則だと、老人を百人受け入れる、きちんとした施設をつくるには、七十人ぐらいの職員がいるのです。
 「百人の老人の面倒を見るのに七十人の職員が要る」というのでは、経営的に成り立つはずがありません。これは経営者なら絶対に分かることです。商店をやっている人であっても分かるはずです。
0088神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 00:48:15.31ID:ua9qw/Sh
 百人を受け入れるのに七十人の職員が要るのでは、絶対、経営的に成り立つわけがないので、それを成り立たせるために、あとで補助金をたくさん入れるのでしょう。したがって、税金をたくさんもらわなかったら、できるわけがありません

 要するに、税金を投入しなければ成り立たないような規則をつくり、それで、「老人ホームが足りない」とか、「保育所が足りない」とか、いろいろなことを言っているのです。
税金を必ず入れない限り採算が取れないような基準をつくり、なかなか作らせないようにして、運を満たしたところには税金を投入させるようにしようとしているわけです。

 この税金は、どこかから集めなくてはいけません。要するに、役人は自分たちの権力が増えるようなことばかり考えているわけです。

 これは実にけしからんことです。これをよく考えた方がよいのです。
0089神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 00:52:12.76ID:ua9qw/Sh
  許認可行政のW善意”は「机上の空論」

 私たち幸福の科学でさえ、百人の老人を受け入れるのに七十人の職員が要るとなったら、とてもではありませんが、老人ホームをやれません。
 「一万人をお世話するのに七千人の人が要る」と言われたら、たまったものではないのです。
 百万人をお世話する老人ホームを建てるとなったら、そこでは七十万人ぐらいの人が働かなくてはいけません。これだと、若者がほとんど老人ホームで働かなくてはいけなくなります。
そうしたら、ほかの仕事は、いったい誰がするのでしょうか。それをする人はいないのです。

 この先に見えるものは何かと言うと、W姥捨て山”です。捨てられる可能性があります。「年を取ることは罪なのだ」と言われて、罰金をかけられることになるかもしれません。
「八十歳を過ぎたら一歳ごとに罰金をかけられ、早く死にたくなる」というような政策が実施される可能性もないわけではありません。
0090神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 00:56:33.56ID:ua9qw/Sh
 役所はW善意”でやっているのだとは思います。
もともとW善意”でやっていて、「手厚い看護をしろ」とか、「老人に個室を必ず与えろ」とか、そういうことを非常にW善意”で考えているのでしょうが、実は「机上の空論」であり、これは中央計画経済の間違いなのです。

 実際に経営をしたり、商売をしたりしたことのない人が考えるから、こんなことを起こすのです。「便利になれ」と思ってやっていても、実際には、不自由になっていくわけです。
こういうことが、あちこちで、たくさん起きています。学校でも起きていますし、ほかのところでも数多く起きているのです。

 したがって、今、必要なことは、こうした許認可行政の無駄なところを取り払い、民間で実際にやれるレベルで、まずは動かしていくことです。
ニーズがあるなら、そのニーズを受け止め、それを消しこんでいく努力をしなくてはなりません。それを認めることが大事なのではないかと思うのです。
0091神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 01:03:00.58ID:ua9qw/Sh
  できるだけ長く現役で働き、゛ピンピンコロリ”を目指す

 幸福の科学の信者に関しては、強いご加護を頂けるように努力しているので、できるだけ長く現役で働いていただきたいと思います。
 チューブを差し込まれて、十年も二十年も、老人ホーム代わりに病院に入ったりしなくて済むように、そして、゛ピンピンコロリ”という感じで逝けるように、「ピンピンコロリ正心法語経」でもつくろうかと思ったりしています(笑)。
 他の宗教は「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」で済ませています。
そんなに簡単なものでよいのであれば、私が、「ピンピンコロリ正心法語、ピンピンコロリ正心法語・・・・」と言って吹き込んだ、三十分ぐらいのCDを出せば、けっこうWいく”かもしれません。

 今のままでは、やはり、国の財政が破綻して、絶対に老人の面倒を見られなくなります。もう分かっています。
したがって、もう、国や地方公共団体にはあまり頼らないほうがよいのです。

 できるだけ、自分の体が駄目になる十年ぐらい前から、少しずつ訓練をして体を鍛え、また、十年後に必要となる知識の習得に励んでいかなくてはなりません。
新しい職業に就いて仕事ができるよう、十年ぐらい前から勉強を始め、準備をしていくことが大事です。頭を鍛え、体を鍛えなくてはならないのです。
 それから、人間関係についてですが、年を取ると、若い人に対して、苦情や不平不満、怒りが出やすくなるので、ここを丸める必要があります。
 年を取った人から見たら、若い人は未熟なので、そこを責めたくなるのですが、それはお年寄り全体の傾向なので、「ああ、これはいかん」と思わなくてはなりません。
 そして、「自分は人生で何十年か先を行っているので、彼らの欠点が見えるだけであり、彼らが悪いわけではないのだ。
自分たちも、何十年か前に戻ってみれば、そんなものだったのに、今、それが分からなくなっているだけなのだ」と考えるべきです。
 年を取ったのなら、その人生経験を生かして、若い人の良いところを見つけてやり、長所を伸ばしてあげる。よいところがあったら、ほめてやり、悪いところがあったら、遠回しに注意したり、自分たちで気がつくようにしてあげる。
0092神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 01:11:15.97ID:ua9qw/Sh
 そのような、「ちょっとした心掛け」を積むことによって、「年を取ると、若い人に嫌われ、若い人が離れていく」ということがなくなってくるのです。

 口の利き方や態度の取り方のほんの少しの違いで、「若い人とお年寄りの交流が可能になるか不可能になるか」が決まるので、年を取ったら、言葉遣いや話の内容に気をつけ、よい人間関係を構築しておくことが大事です。

 「正しい思い」や「正しい言葉」は非常に大事なのです。
0093神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 01:15:29.13ID:ua9qw/Sh
  十年おきぐらいに発心し、「学習」や「体力づくり」に励む

 そういうことは、仏法真理の書籍のなかにたくさん書いてあります。
 本の宣伝になったら申し訳ないとは思うのですが、私の著書一冊は、ほかの本を百冊読む以上の値打ちがあります。
今後、六十歳から百歳ぐらいまでの人口が増えてきますが、私の著書を読む方がだんだん増えていけば、それらの方々が、現役で、かくしゃくとして活躍する未来をつくれると思うのです。

 後世の人たち、若い人たちに迷惑をかけないようにするためには、そのようにしていったほうがよいと思います。
 みなさん、「生涯現役」で、ぴんぴんしていて働けるようになろうではありませんか。

 ただ、この言い方は外国では必ずしも、゛ウケ”ないのです。
 こういう「生涯現役」の話を、ロシアの支部長がロシアで話すと、「六十歳にもなったら、もう仕事を辞めてもよいではないか。『まだ働け』というのか。なんという教えだ」と言って、現地の人が怒るそうです。

 向こうは寿命が短いのかもしれません。寒いので、六十五歳や六十六歳で死ぬのかもしれないのです。
 しかし、平均寿命が八十歳や九十歳近くまで来ている国では、六十歳ぐらいで仕事を辞めるわけにはいきません。

 「四十歳のとき」「五十歳のとき」「六十歳のとき」というように、十年おきぐらいに、それぞれ発心して、「知的な学習」や「体力づくり」に励めば、次の十年間が約束されます。
 これを心掛けて、努力してください。
 そういうことを私は説いているので、勉強してください。
 とにかく、今は、「日本人、目覚めよ!心を入れ替えて、総決起せよ!」という時期が来たのです。それを申し上げておきます。
 明るい未来をつくるために、自分自身の心を正すと同時に、「他の人と力を合わせ、新しい社会を建設していく。その一翼を担う」ということを実践していかなくてはなりません。これが大事です。
 これから、毎日、具体的な行為で努力・精進していこうではありませんか。
0094神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/03(木) 01:21:11.75ID:ua9qw/Sh
🌟 あなたに贈る言葉B

蜘蛛の糸ほどの信仰さえあれば・・・

困難の中にある時、
人は苦悩し、
憔悴し、
疲れ果てる。
口からは、
否定的な言葉しか出ず、
明日を信じる勇気もなくなる。
しかし、
私は断言する。
あなたに、
蜘蛛の糸ほどの信仰さえあれば、
仏は、あなたを、
軽々と助け上げられると。

まず、信じなさい。
つぎに、リラックスしなさい。
仏は、必ず、
問題を解決してくださると思いなさい。
仏の救いを信じて、
明るい前向きの心を持ちなさい。
今、与えられていることに、感謝しなさい。
これからは、
無理をせず、
あなたにできることを、
ゆっくりとやっていきなさい。

ゆるぎない信仰の前に、
困難などないと、信じなさい。

ーー『師弟の道 心の指針第二集』より
🌟 大川隆法著 「伝道の法」より
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況