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ある日、王太傅は招慶院を訪れた。あいにく長慶慧稜禅師は不在だったようで、高弟の朗上座が茶菓をもてなした。

丁度その折に明招徳謙禅師も来あわせていたので、朗上座は明招のためにもお茶をもてなそうと、「銚」という茶びんを把って釜から湯を汲もうとした。
その時朗上座はへまをして茶銚をひっくり返してしまった。

王太傅はそれを見て朗上座に聞いた、「その茶炉の下は何ですか?」。
朗上座は云った、「捧炉神です」。

王太傅は云った、「なに、火鉢の守り神の捧炉神だと!火鉢の守り神がいてどうして茶銚をひっくり返すのを黙って見過ごしたのですか?」
朗上座は云った、「お役人でも千日まじめに勤務しても、たった一度の失敗があれば首になるでしょう。あれと同じですよ」。
この無神経な言葉に王太傅は袖を払って帰ってしまった。

明招禅師は云った、「朗上座は長慶禅師の下で修行した者にしてはおろかで、あるまじき振る舞いをしたな」
朗上座は云った、「和尚だったらどうされますか?」。
明招禅師は云った、「お前さんがうっかりしているから捧炉神(非人)に付け込まれたわい」。

後に雪竇はこの問答にコメントして云った、「わしがその場にいたら、茶炉を火鉢ごと踏倒してやったのに!」。

〇 結果は、原因が条件によって成り立つ。
  だが、あれが無ければ、これが無い、などと手前を繕う、説明をする。
  一本道を歩む者も、脇道へそれる事があるが、直ちに元の一本道へ戻って行き、また、一本道を歩み行けばよい。
  私の椅子禅、がそれ。。
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