虹と水晶 ・・・ミラレバはこう言っている。「心もそらも空虚だから、心の本性はそらのようだと言う事はできる。だが、
心は知性を持っているのに対し、空はそうではない」と。悟りとは宇宙に関する知識ではなく、宇宙の本質を生きる経験に外
ならない。そういう生きた経験を味わうまでは、色んなたとえを頼りにするほかならない。だがそのおかげで、そのたとえが
持っている限界にしばられる事になる。土台は、これから説明する不思議な物体のようなものだ、と言ってもよいだろう。
その物体が白くまるみを帯びている、と言えば、それについてのイメージが得られる。だが翌日になつて、それを見た
別のひとが説明するのを聞いて色も白というよりは真珠貝の色をしていると言えばそう考えるようになる。そんな説明を五十回
聴いたところでその物体に関して少しでも考えが深まるわけではない。だがいつたん自分で見ればどんなものかはっきりわかる。
・・要するに百聞は一見にしかずか?百文は瞳にしかず?でも観れない人は例えば本のすこしの向樹心を便りにするしか内化