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坐禅と見性第118章海底からの上昇流と海面からの下降流、休まず [無断転載禁止]©2ch.net
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0001神も仏も名無しさん垢版2017/03/16(木) 02:26:11.36ID:cPZN4Wf+
このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。
禅は、来(きた)る者は拒(こば)まず、去る者は追わず、である。
スレの興隆は、時空のながれ、いっときもとどまらず、恒常が無い。
遠くの山々は、青く、我を旅立ちへ誘う。
あの遠い青い山並みの向こうに、何があると言うのか。
白い雲は、山にかかると、さっと左右に分かれ、又、元に戻り何事も無かった如く流れていく。
水も又、川面に顔を出している大石にあたると、さっと分かれてまた、もとの流れとなる。
行く雲、流れる水の振る舞いの如く修行僧が風景に溶け込む。
縁があって、対話してきた各章のつらなり。
1000章が、次のステップである。
真理、ダルマ、法である、さとりである、ほとけである、われら。
公案に参禅す。
問う、「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい 」

【前スレ】
坐禅と見性第117章禅のアヒルは、泥水に注がれたミルクだけを飲む [無断転載禁止]©2ch.net
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【過去スレ】
坐禅と見性第116章汝こそ汝の主人公、他の誰が」主人公でありうるか。 [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第115章信念は無いけど新年 [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第114章馬が田に入り、牛が田に入り、早乙女が田植えする [無断転載禁止](c)2ch.net
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坐禅と見性第113章銀椀裏に雪を盛る(ぎんわんりにゆきをもる) [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第112章ホワイトオータムからブラックウインターへと [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第111章 一茎草(いちけいそう)これ仏殿 [無断転載禁止]©2ch.net
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坐禅と見性第110章 頑張れそのうち聖火も消えるのでは心配
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0179神も仏も名無しさん垢版2017/03/19(日) 16:49:21.12ID:SIEh3grb
質問者    私の最初の師はまた最後の師でもあるのでしょうか?それとも私は師から師へと渡り歩かなければならないのでしょうか?
マハラジ   宇宙全体があなたのグルだ。もし注意深く、知的であれば、あなたはすべてから学んでいく。あなたのマインドが澄んで、ハートが清らかであれば、
        あなたはすべての通りがかりの人たちから学ぶだろう。あなたが怠惰で落ち着きがないため、内なる真我が外側のグルとして現れ、あなたに彼を信頼させ、したがわせるのだ。
質問者    グルは不可避なのでしょうか?
マハラジ   それは「母親は避けることができないものなのでしょうか?」と尋ねるようなものだ。
         意識のなかで、ひとつの領域からより高い領域に上がっていくには助けが必要だ。助けが常に人間の形を取るとは限らない。
         それは名状しがたい存在かもしれない。あるいは直観のひらめきかもしれない。しかし、助けは来なければならない。
         内なる真我は、息子が父親のもとに戻ってくるのを待っているのだ。時節が調えば、彼は愛情深く、効果的にすべての手はずを整える。
         メッセンジャーや指導者が必要なとき、真我が必要を満たすためにグルを送るのだ。
0180神も仏も名無しさん垢版2017/03/19(日) 16:51:39.86ID:SIEh3grb
質問者    ひとつだけ理解できないことがあります。あなたは内なる自己を、賢明で、善であり、美しく、あらゆる面で完全だとし、個人はそれ自身存在をもたない、
       単なる反映だと話しています。その一方、あなたはたいへんな困難も顧みず、個人にそれ自身を実現させる助けをしています。もし、個人がそれほど
       重要ではないならば、なぜそれほどまでしてその幸福を気にかけるのでしょうか?誰が影のことを気にするでしょうか?
マハラジ   あなたは存在もしない二元性をそこにもちこんだのだ。身体があり、真我が在る。その間にマインドがあるのだ。そのマインドのなかに、真我は
       「私は在る」として反映されている。マインドはその不完全さ、その未熟さと落ち着きのなさ、識別と洞察の欠如ゆえに、それ自身を真我ではなく
       身体だと見なしてしまうのだ。必要なことはマインドを浄化することだけだ。そうすれば、真我との同一化を実現することができる。
       マインドが真我のなかに没して消え去るとき、身体は問題を呈しなくなる。それはそれであるものとして、認識と行為の道具、
       内なる創造の炎の表現としてとどまる。身体の究極的な価値は、宇宙全体である普遍の身体を発見するために仕えることだ。
       あなたが顕現のなかで自分自身を自覚するほど、あなたはあなたが想像していた以上のものであったことを、絶えず発見しつづけていくのだ。
質問者    自己発見には終わりがないのでしょうか?
マハラジ   そこにはじまりがないように、終わりもない。だが、グルの恩寵によって私が発見したことは、私はこれだと指し示すことのできるものではない
       ということだ。私は「これ」でもなく「あれ」でもない。これは絶対に不動だ。
0181神も仏も名無しさん垢版2017/03/19(日) 16:53:12.33ID:SIEh3grb
質問者    それでは、新たなる次元へと永遠に自分自身を超えていく、果てしない発見はどこで現れるのでしょうか?
マハラジ   これらはすべて顕現の領域に属する。それは、低次のものからの自由を通してのみ、より高次なものを得ることができるという
       宇宙の構造そのもののなかにあるのだ。
質問者    何が低次で、何が高次なのでしょうか?
マハラジ   それを気づきの言語のなかで見てみなさい。より広く、深いほど、意識は高いのだ。生きるものすべては意識を保護し、永続し、
       拡張するために働いている。これが世界の唯一の意味と目的なのだ。絶えず意識のレベルを上昇させ、それらの特性と質と能力とともに
       新たな次元を発見すること──それがヨーガの本質だ。その意味においては宇宙全体がヨーガの道場となるのだ。
質問者    完成はすべての人間にとっての運命なのでしょうか?
マハラジ   究極的には、すべての生きるものたちにとってだ。悟りの概念がマインドのなかに現れるとき、可能性は確実性となるのだ。
       人は、ひとたび解放が手の届くところにあると聞き、理解すれば、けっして忘れはしない。なぜなら、それが内側からの最初のメッセージだからだ。
       それは根を張り、成長し、時が来れば祝福されたグルの姿を取るのだ。
質問者    では、私たちは皆、マインドの救済に関わっているのでしょうか?
マハラジ   それ以外の何だというのだろう?マインドが道に迷い、マインドが家に帰り着くのだ。「迷う」という言葉さえ的確ではない。
       マインドはそれ自身のあらゆる気分を知らなければならない。繰り返されない限り、何ひとつ間違いということはないのだ。
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