>>622
いつも言っているように、私は「悟り」を知った人間ですが、常時「悟り」の意識
で生きている人間ではありませんから、普通の人の感情は全部持っています。
ただ、神経症の時のような異常な感覚(人前に出ただけで恥ずかしくなって自由に話
が出来なくなるような感覚)はないということです。

「悟り」に深く入ってしまうと通常の価値観が無意味になることは確かですが、それは
小乗仏教の<阿羅漢>の世界で、大乗仏教では<阿羅漢>は袋小路に入ってしまった状態
と見られていて、決してよい評価はされません。

小乗仏教は<色即是空>ですが、大乗仏教は<色即是空⇔空即是色>ですから、悟っても
通常の価値観を否定する必要のない世界に生きて行くことになります。
(私はまだそんな境地には達してはいませんが、理解をすることはできます。)

>>623
>無我や悟り以外のものは意味のないものになっていませんか??

 >>616 で書いたでしょう。
「無我」は「非無我の世界」を包摂している、と。ですから、
すべてに意味があるのです。ただ、その内容は「無我」を知らない人とは違う
ということです。

「無我」を知らない人が、「無我や悟り以外のものは・・・」と言っても、
「無我や悟り」の内容を知らないのですから、その質問文自体に意味がない
ということに気付いて下さい。

あなたも「無我」を知った時に、「ああ、こういうことだったのか!」とわかる
ことでしょう。