http://rinnou.net/cont_04/zengo/130201.html

赤肉団上に一無位の真人あり、常に汝ら諸人の面門より出入す(『臨済録』から)

(しゃくにくだんじょうにいちむいのしんにんあり、
つねになんじらしょにんのめんもんよりしゅつにゅうす)

このサイトの短い文章は良い文章だと思います。
何度も読んで味わってみましょう。

私がいつも書いている「身心とは別の(個人性のない)意識」というのは、
この「無位の真人」のことです。「赤肉団」が身心のことです。

禅宗では、この「無位の真人」を実体として見ない傾向がありますが、
私の師匠だった大森曹玄老師は、実体のあるものとして見る立場を
取られていました。これは「悟り」に実体があると言うのと同じで、
「すべてのものに実体はない」という通常の仏教の教えとは異なる
ものですが、実際には「悟り」に実体があるという立場を取った仏教の
高僧は仏教史上にたくさんおられます。

「神経症と仏教」という観点から見た場合、「悟りに実体はない」と
いう立場の教えよりも、「悟りに実体はある」という立場の教えの方が、
神経症が治りやすい傾向があります。

(今は時間がないので、たまに単発の書き込みとしてしか書けませんが、
時間ができれば、上記の点についてじっくり書くつもりです。)