> 坐禅中にはいろいろな妄想が生じる様です。 自分が無くなるというのも然り。 確かに意識はあるが自分は何処にもないなど、往々にしてよくある妄想です。 その様な妄想は捨て置き、再び呼吸に戻る事が肝要と古人はお示しです。 』
妄想(もうぞう)
無いものを有ると思う、これを妄想(もうぞう)と言う。
眼は脳が直接に外界を見るためのもの、です。
かんじんかなめの 自己を見る事がありません。
鏡に映る自己も左右が逆であり、自己とは違うのです。
しかも知識で逆立ちをした、、転倒(てんどう)した思いでいっぱいです。
自救不了(じぐふりょう)
かんじんかなめの自己の足元だって、よく見えてないのです。
体得せよ、と言うのは、この事です。