>>544 嶺南の木人 さん

>  坐禅中にはいろいろな妄想が生じる様です。  自分が無くなるというのも然り。 確かに意識はあるが自分は何処にもないなど、往々にしてよくある妄想です。 その様な妄想は捨て置き、再び呼吸に戻る事が肝要と古人はお示しです。 』

妄想(もうぞう)

無いものを有ると思う、これを妄想(もうぞう)と言う。

眼は脳が直接に外界を見るためのもの、です。

かんじんかなめの 自己を見る事がありません。

鏡に映る自己も左右が逆であり、自己とは違うのです。

しかも知識で逆立ちをした、、転倒(てんどう)した思いでいっぱいです。

自救不了(じぐふりょう) 

かんじんかなめの自己の足元だって、よく見えてないのです。

体得せよ、と言うのは、この事です。