>>346 嶺南の木人 さん
> >>344
> 外国籍の師家ですか?

万巻の仏教聖典を読んでいた時期がありました。
一冊の本に出合いました。
アメリカ人の牧師だったか、神父だったか、その人が日本で取り組んだ公案が、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、です。
内容は、死に物狂いでこの公案に取り組んだが、全く歯が立たなかった、と言うものです。
それで、わたしもこの公案に取り組みました。
仏教聖典を読みふけっていたので、その頃の私はだれかれとなく、この公案を話しかけていました。
そして、解かったような、聞いたような、つまり、イメージで語っていたのです、こういうものだ、と。
そう言う事を抜けて、
外資系化粧品会社の美容部員であり、ジャズ好きの、巫女さんもしてた、のちにキャバレー勤めもしていた、ある女性との会話のあと、数日してさとったのです。
それは色即是空、一の如しでした。
次に長い年月の後、空即是色になりました。
無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく) の欠点で、
それだけの長い年月を必要としたのです。
ある僧侶は、隻手の音声(せきしゅのおんじょう)に取り組み、片手の声を聞きましたと、
お師家さまの部屋に飛び込んだとたん、片手の声は聞こえないよ、とその場で、色即是空は空即是色に還る、になった、そうです。
比べて私は、長い年月、片手の人が叩く拍手の音を聞いていました。
お師家さまはどなたも老婆禅です、ね。
それから、もうひとつは、のちのマブダチになる道元ちゃんがいます。
眼横鼻直です、
鼻直が主人公、主体性、自由、を言うのだと、受け取りました。
これでまた、ずいぶん深くなりました。
白隠さんは、何回も小悟、大悟と さとり続けたそうですね、わたしもゆっくりですが、そういうふうです。