大乗非仏説知っているのに大乗仏教信仰する人って [無断転載禁止]©2ch.net
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>>185
師や、創始者への感謝と敬意の無い阿羅漢果こそ笑止だろ?
寧ろ、阿羅漢果を得た後こそ、「お参り」に気持ちが入るだろうよw 179 ブッダの勝利は敗れることがない。 この世においては何人も、かれの勝利には達しえない。
659
賭博で財を失う人は、
たとい自身を含めて一切を失うとも、
その不運はわずかなものである。
しかし立派な聖者に対して悪意をいだく人の受ける不運は、
まことに重いのである。
660
悪口を言いまた悪意を起して聖者をそしる者は、
十万と三十六のニラップダの[巨大な年数のあいだ]
また五つのアッブダの[巨大な年数のあいだ]
地獄に赴く。
コーカーリヤはサーリプッタとモッガラーナという聖者に対して
敵意をいだいていただけで、死んでから紅蓮地獄に生まれました。
されば最大聖者のブッダを低く貶める者はいったいどんな恐ろしい処に赴くのでしょう。
考えただけでも恐ろしい。史上の聖者ブッダをオッサンと呼び、
ブッダ死後の後世の人が捏造した仏教を優れたものとする憐れな者よ。
その時になって自分の語ったことを後悔することだろう。
(-_-)南無・・ >>191
頑張れやwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>12
原始仏教は未熟な仏教とも言われてる
小乗だけだとやっぱり出家しないと悟らないし人も救えない
大乗は在家にも悟りや救いがあるって考え
今の社会ならむしろ在家仏教が主流になって当然じゃないの
昔みたいにお経を海外まで取りに行くほどありがたがってたけど
今は翻訳が本屋に売られている
知識としては十分得られるし在家の方が救済出来る立場に近いのでは
山に篭って何年も滝に打たれて火を拝んでなんの意味があるんだろう
あれだって釈迦は否定してるんだぜ >>194
小乗と呼ばれる南方上座部仏教のヴィパッサナーやそれを元に作ったマインドフルネスなんかは良い。
ただし本格的にやるとなると在家じゃ無理だろう。
体験者が慣れると一日13時間位瞑想に費やすとか道を歩く途中瞑想状態に入ったら車の通る道の真ん中でずっと立ったままだったとか言ってた。
知識はともかく本格的瞑想は出家じゃないと無理だろう。 でも現代で言えば出家って新興宗教の職員になるとかだぞ
本物もいるけど大半はなんの疑問もなく本会の教えをおうむ返しに言うしか能が無い連中ばかり
在家で通用しないから隔離されてるんじゃないかと >>196
南方仏教は男なら一生に一度は出家する。それが成人への通過儀礼になってる。
在家で通用しないからじゃない。
新興宗教の類と2500年の風雪に耐えてきた仏教とは天地の差がある。 それは小乗で韓国の徴兵制みたいなものだろ
それが最高のシステムなら仏陀が山のように生まれてなきゃおかしい
キリスト教も世俗否定から長い年月をかけて世俗内禁欲へ舵を切った
だから延命出来たんだよ
時代の要請を見誤っても未来は無いよ >>197
そういう風習だってことでしょ
ならその国から悟りを開いた人間が山ほど出て
世界をリードしてるわな
実際に世界をリードしてるのはそんな国じゃ無いわな
結果をもたらさない仮説なんて否定されて当たり前
もし違うというなら彼らが世界に対していかなる救済を与えてるか教えてくれよ
一生座禅を組んでも悟れない奴は悟れない
そんな単純な真実から目をそらして無駄なことをしてるだけだよ
悟る奴はソクラテスのように学問をしながら悟りの境地に達する
馬鹿は外見を真似して満足するんだよな >>201
>馬鹿は外見を真似して満足するんだよな
お前の事かw >>203
じゃあどういうもんなんだよ
仏教自体大昔に語られた真実も含む巨大な方便にしか過ぎないんだぞ
方便は所詮方便でしかなく、科学が発達して大衆の認識が高まれば、
さらに本来に近い方便が語られなきゃおかしいだろ
小乗の連中は過去の方便にしがみついてるだけだよ
悟るというなら仏教を超えた真理に到達しなきゃ修行したとは言えないだろ
過去にテキストが提示された上に現代の知識が加わるのだから当然その先に進める行為が悟りなわけ
結局権威から逸脱する勇気もない連中がやってるのが小乗
世間に触れて通用しないのを恐れてるんでしょ >>204
四法印位は踏まえてね。
諸行無常=全てのモノやコトは移ろいゆくものである事
諸法無我=それ故に全てのモノやコトには究極的には実体が無い事
一切皆苦=全てのモノやコトに究極的実体は無いのに在ると執える煩悩があるため究極的には全てが苦しみとなる。
涅槃寂静=煩悩の灯火が吹き消され全てがクリアになった状態が救済である。
これは大乗、小乗問わない仏教の普遍的原理
釈迦が宮殿での天国のような暮らしをしてても救われなかったように仏教では天国にあっても個人の内面の問題が解決しない限り救いは無いとする。
悟りという実存的自由を得て初めて救われる。 個人の内面の問題を解決、か。
それは心理学の問題となる。
宗教は心理学の問題ではないよ。 >>206
心理学自体がとてもじゃないが完成された学問とは言えないし仏教には唯識という仏教心理学がある。
哲学者でアメリカ心理学の父であるウィリアムジェームスはいずれ仏教が心理学者に必須の学問になるだろうと言ってる。
分析心理学を作ったユングも仏教に注目し自ら曼陀羅を書いてる。 >>206
心理学と仏教についての入門なら京大名誉教授で文化庁長官も務めた河合隼夫の「ユング心理学と仏教」などの著作が良い。 204.
涅槃寂静、か。
それは心理学である。
それは宗教とは関係がないよ。
涅槃寂静、で終わり、か。
心理学であれば、終わりでも良い。
宗教では、そこで終わりでは、何の問題の解決にもならないことになる。
自己満足で終わるのか、否か、そこが問題である。 >>201
ソクラテスはシャーマン的な所あってダイモーンの魂に導かれて哲学してると言ったり戦争中一晩中立ったまま(恐らく瞑想してた)だったとかいうヨガ行者みたいな逸話も残してる。 >>209
仏教は最終的に仏国土を目指すが涅槃に達し一隅を照らせる人を一人でも半人でも生み続けることでそれに近付こうとする。 まあ、56億年ほど待てwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 大乗非仏説もあるんだが小乗非仏説もあるのだよ、現在まで伝わっている資料のどれにシッダルタの教えが正確に書いてあるかなんて誰にも分からんよ
また、ある命題や命令がシッダルタの教えだからといってそれが真であるとも現代の我々にとって合理的であるとも限らんだろう
ラッセルのように、そして現代の普通の教養ある読者が行うように数学を真偽判断、合理性判断の指針として仏教の諸経典を読解し真なる命題、合理的な命令だけを抽出して実際の生活に活かしたらどうだね
もちろん判断に伴うバイアスには気をつけねばならんがね
君たちが教養ある読者なら、あるいは何か特殊な目的を持った人々ならば余計なお世話だったかもしれないが >>211
だから哲学からでも悟れるんだよ
結局世界の真実への探求だからな
神は世界のどの方向からでも真理に到達できるように作った
仏教もあくまで人類の進化への過程の教えであって方便
人生が苦に満ちてるって発見も方便じゃないか
本来の世界から見たらかりそめの世界がこの世界だから
この世界の喜びですら苦であるとして執着を絶たせようとしただけでしょ?
その真意がわかったらこの世界で生きることは必ずしも否定的なことではない
この世界にも喜びはあるわけですよ
人間は教えられたことしか理解しようとずその教義に縛られてしまう
仏教という教義に縛られることすら執着
さらに先の教えが語られる時代環境になったのなら捨て去って新たな教えを模索するのが
人類の次の使命ですよ >>216
古代ギリシャの哲学は単なる知識ではなくエルゴンという行を伴うものだった。
それ故にキリスト教から異教と判断されてアカデメイアは閉鎖された。
キリスト教と被らないよう知識としての哲学が発達する。
釈迦は仏教という筏で川を渡ったら筏は捨てなければならないと既に言ってる。
禅者とかでそれ実行した人も結構いた。ただ四法印は時代が進んでも変わらない普遍的真理。 大乗の涅槃経には常楽我浄が説かれる。
涅槃の境涯では無常が止揚された常住
苦が止揚された楽
無我が止揚された如来我
煩悩という不浄が止揚された清浄
があるとする。 如来常住 これは釈迦と同時代に生まれてこれなかった弟子の願望を叶える教え
理屈から言えば六道輪廻から解脱しなければ二度と釈迦に会えないからだ
だから如来を普遍的な存在とする事で後の人も臨在出来る
一切衆生悉有仏性 これも拡大解釈
涅槃経って大乗を理論として成立させるための苦肉の策ではあるんだよな
どんなに性根が腐った人でも仏性を有してるから仏になれるとか理屈として変じゃん
なら六道輪廻自体ないことになっちゃうだろ
仏性があるから長い輪廻の中で仏になれる可能性が有るってだけなんだもの >>219
性根が腐った人でも仏になれるのは変って徳一の五姓各別説じゃん。
最澄に論破されたヤツ >>220
両者平行線のまま最澄が打ち切ったと思うけど。 日本仏教では衆生は本来覚っているという本覚思想が基盤になる。
覚ってるのに何故修行しなければならないのかで本覚と始覚を統合した道元が出てくる。
おそらく本来覚ってるはずが何故罪悪と煩悩にまみれてるかという問いから法然や親鸞が出てきた。 >>223
人に頼らず自分で確かめろや?
一度首を吊ってみなw >>223
一時流行した松本史朗とか袴谷とかだろ。食傷してうんざりする。 殺生を唆すとは斬新だなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 大乗非仏説
阿含経に既にブッダが語っていた小乗>大乗の論が記述されている
(大乗仏教徒はこの経文すら読んでいないことがバレバレ)
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama70618.html
<要約>
サンガーラヴァが「あんたたちの修行は自分の解脱(幸い)のみを求める小さい道だ(小乗)。
我等は衆生の幸いのために活動する大きな道なのだ(大乗)」
ブッダ「違うな。あんたがたが、その場限りの小さな衆生のための活動をしても(大乗)我らの道には遠く及ばない」
さらに詳しくは 阿含経典 3 増谷文雄 訳 p89
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71W1lftw6UL._AC_UL320_SR228,320_.jpg
んで、ここでブッダや原始仏教を平気で否定する人ってだれかと言えば、
まず「創価学会」の人です(笑) 創価学会の人は「法華経以外読んではならない」という北朝鮮のような決まりがあるので、ブッダが直接語ったことに近い、
後世の人の創作でない原始仏教を読めないんです。後世の人が捏造・創作した似非仏教を後生大事に抱いて死ぬ、というわけです。
かれらは「南無妙法蓮華経」と唱えれば、祈祷すれば、現世利益、死後利益が得られると大きな勘違いをしていますが、
これも又、ブッダによって「完全否定」されています。
https://ameblo.jp/nibbaana/entry-10590041811.html
さらに詳しくは 阿含経典 2 増谷文雄 訳 p138「西方の人」にのっています。
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51HX5yDwL7L._SX353_BO1,204,203,200_.jpg んで、何故原始仏教が長きに渡り、とりあげられなかったかといえば、
中国人の愚者が提唱した「五時八教」の偽説によるのですが、
現代ではこの説は完全に誤りであったとされています。
恐らくは派閥・学閥争いでもあったのではないのでしょうか。
この「五時八教」の偽説が今日の捻じ曲げられた北伝仏教=仏教という諸悪の根源になっています。 >>227
増谷訳のどこにブッダがサンガーラヴァの修行を小さい道だとしている
表現があるのかな? 俺はこのように要約した。
サンガーラヴァ
「バラモンがみずから供犠をいとなみ、また他のひとびとをして供犠をいと
なましめることは、それはすなわち多くの人々のための福いを修すること。
それに対して出家の道は一人のための福いの道じゃないのか?」
ブッダ
「師(如来、ブッダ)が法を説き、そして、他の人々もおなじように修行し、
それらが数百、数千、数万にいたるならば、それは多くの人々のための
福いの道である」
サンガーラヴァ
「あなたのおっしゃるとおりですね。」 >>230
この箇所は後の大乗仏教における授記や仏国土というテーマに繋がって
いくと思う。
また釈迦はバラモンについて『スッタニパータ』や『ダンマパダ』で語っている。
例えば、『スッタニパータ』 第二 小なる章 七、バラモンにふさわしいこと、
第三 大なる章 九、ヴァーセッタ等がある。
650 生まれによって〈バラモン〉となるのではない。生まれによって〈バラモン
ならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為に
よって〈バラモンならざる者〉なのである。
『ブッダのことば スッタニパータ』 中村 元(訳) 岩波文庫 >>230
わかりやすく多少、サンガーラヴァコースを陥れ気味に書いた。
実際は君の解釈が正確だ。
言いたいことは、「小乗<大乗のような考えは、違うよ」そういう「小(自分だけ助かる)」「大(みんなを救済)」
という小乗仏教を陥れるような風潮に異を唱える意味で書いた。 >>229
「五時八教」以外の教判があることが>>175のレスで示されているのだけれども・・・
少なくとも日本における真言や浄土系の各宗派では「五時八教」を重要視しない。
そして現代人ならば高校の世界史で仏教の誕生から部派仏教、大乗仏教の成立を
学ぶはず。
創価学会批判をしたければ他にいくらでも適当なスレがあるだろう。 >>233
増谷文雄氏によると、ブッダの直の説示に近い阿含経等がないがしろにされてきた原因は「五時八教」による影響が大きい、とある。
阿含の系の宗派が、新興の教団以外に日本に無いのはそのためだと論じておられる。 >>235
現代に伝わる上座部仏教は大乗を排斥した大寺派の流れに基づくものである
のに対し、中国には小乗(アビダルマ仏教)と大乗諸経論が分けられることなく
伝わり、両者を共に仏説であると捉えられた。
そこでそれら多くの経典の中でどれが最高の教えであるか、一つの判定方法
として、各宗派によってさまざまな教相判釈が行われた。
「五時八教」もそのうちの一つ。 仏教学も日々研究が続いていて、
セイロンにも大乗仏教経典が伝わり、無畏山寺派、祇多林寺派などは大乗経典や
密教を受容していたのに対し、大寺派は大乗を非仏説として斥けた。?12世に入り、
国王パラッカマバーフ1世によって大寺派のみが認められ、残りの2派が弾圧され
大寺派に統一された。この時、セイロンにおける大乗仏教は消滅したとされる。
また大乗仏教の起源にしても、仏塔を中心に独自の宗教活動を行っていた在家
者のグループであるとする平川彰氏の「在家・仏塔起源説」が一般的に指示され
ていたが、近年では、大乗仏教の初期には、その主な担い手は出家者であり、
彼らは部派仏教教団から独立した存在ではなかったという見解が有力になり
つつある。 なるほどそういうことか。しかし自分は小乗派なんだけどアビダルマはどうも苦手でチンプンカンプン...(苦笑)
三蔵経典でも律蔵と経蔵は好きなんだけど論蔵はサッパリ(笑) 中国において大乗仏教が受容されていったが、実のところインドでは四世紀まで
大乗経典は制作されても大乗教団は存在しなかったとするのが
グレゴリー・ショペンの学説。
『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』 グレゴリー・ショペン(著) 小谷信千代(訳)
春秋社 (2000/07)
もはやamazonでも古本しか買えないのか。 ざっと俯瞰するのならばこちらのサイトが役に立つかと。
青少年のための仏教入門 仏教へのいざない 東京大学仏教青年会
http://todaibussei.or.jp/izanai/izanai_index.html 法華経をめぐって 大乗仏教教団はインドに存在しなかった?
https://togetter.com/li/14299 <法華非仏説>
法華経は、釈迦死後在家の仏教徒が作った作者不祥の仏教小説
https://ameblo.jp/banana-8t1e/entry-12253624316.html
仏教偽典なので信用しては人生を台無しにします 偽経による大乗仏教でも、
立派な坊さんは立派だが、
日本の坊主はそろいもそろって生臭クソ坊主。
坊主らしいのはスキンヘッドだけ。
しかし、ただのハゲとそう変わらんし。 シャカを信仰しないもの、それが、大乗仏教徒。
シャカの教えは、阿含経にしたためられておる。かの、少欲第一位のカッサパ様が、結集をしてくれたおかげで、現在に伝わった。サポートしたのは、記憶力第一位のアーナンダ様である。
その頃マガダ国で喋られた言葉につながるパーリー語によって伝えられて、現在諸国の言葉に翻訳されておる。
そういう努力の結果をないがしろにする輩は、地獄に落ちる。
いいか、宣言しておく!
大乗仏教徒が盛んに御託を並べる空の概念を、完成させたナーガール ジュナは、
阿含経を修行していた為に、解脱しておった。
だが、空の概念だけをありがたく懐に抱いた大乗仏教徒は、解脱をしていないただの凡夫じゃあああああああああ! 超越神力、それは、
ヒナヤーナ、マハーヤーナ、タントラヤーナ、ヴァジラヤーナそして、テーラヴァーダの実践により、
すべての魂が身につけることのできる最高の力である。
これ以外の方法により身につけられた超越神力は、必ず欠陥があるのだ。 >>247
いくらなんでもそれじゃ勉強不足でしょw よく意味がわかったなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>251
ベンチャーズとジミヘンを合わせたような感じだな このtakeからjimi(の影響)を読み取るとは只モノの耳では無いな(笑) 大乗の根拠が過去悟った偉いお坊さんが作ったお経
理屈から言えば小乗無くして大乗は生まれなかった
でもまあ何千年も論議されまだ決着が付いてないということは
どちらも正しいという事でしょう
創価が日蓮は釈迦の生まれ変わりとか日蓮の方が偉いとか
言っててそれで通用してるんだからなんでもありが日本の仏教だと思う あくまでも「うちの宗派ではこのように考える」と仲間内の中で留めておけば
なんでもありでも他者と喧嘩になることはないけど、身内の理屈を一般化して
他者を貶めるようなことを言われると困っちゃうよな。 >>254
創価が言ってるのは釈迦は過去の遺物で日蓮が本仏という日蓮本仏論。
他宗には文証というクセに自分ところは経典の何処にも無い事を主張してる。
教祖が釈迦の生まれ変わりを自称するのは幸福の科学。
教祖の大川隆法はキリストより偉大という事になってる。 創価→本尊はブッダではなく日蓮(学会員談)
幸福の科学→我はブッダだ(大川談)
オウム→私は釈迦より上だ(麻原談)
高橋信次→「どうもご無沙汰しています。私ブッダです。こんな(みどい容姿のオッサン)姿になってしまいまいた。」→高橋信次談 OO→「この世界に神はいない」→「俺がガンダムだ」(刹那・F・セイエイ談) 大川は人格さえ高潔だったら教えは残っても納得なんだが
高橋も人格は最高
池田は説法が上手い
宗教家って元はこんな感じで発生して残るものが残って認められたってだけだろうな
釈迦だって家族捨ててるから非難しようと思えば出来る >>260
大川も高橋も池田も麻原も書籍ではかなりいいことを言っている。
とくに高橋の書籍は、すごくて、この人どんなに凄い人なんだろうと思われるけど、
記者会見ではまるっきし嘘つきでキチガイだし。
>釈迦だって家族捨ててるから非難しようと思えば出来る
は、確かにその通り >>261
高橋信次は身内は結構腐すけど
接した弟子は人格を褒めている
取り敢えず金儲けはゼロで自腹だ >>262しかし......登場の仕方が.....(笑)
いまから二十年ほど前の昭和四十年代から五十年代の初頭、
日本じゅうが安保やオイルショックで頭を痛めていたころ、
中肉中背で丸顔の実に誠実そうな一人の男が、
場内からはみ出しそうな聴衆者を前に、
何やら意味のわからない言葉で問いかけていた。
相手はというと、これも同じような言葉で返している。
場内はセキひとつしない。じーっと見いっている。
むろん誰れも何を語り合っているいるのか皆目わからない。
間をおいて男は解説をいれる。そこで会場の者は、なる程と理解できる。
男は相手の方に身体を向け、片方の手のひらを頭の上からかざすような仕草をしたり、
離れて円をかいたりする。そして、なおも言葉は続く。
すると相手は感情がこみあげてどうしようもないのか、
堰をきったように想いをぶっつけはじめた。
「ブ・ッ・ダー」しぼるような声が場内一杯に拡がる。
そして、すがらんばかりにひれ伏して手を差しのべ
「観自在者ブッダー」男は「そなたは、よく私のところに来てくれました。
こんじょうもまた一緒にやりましょう…」男もハンカチを目に当てている。
会場の中からもすすり泣きの声が。
「リヤ オ エレ…ソレ ポコラ…パニヤ インダ…」そしてすかさず男の解説がはいる。
ひと区切ついたところで「…男前がこんなになっちゃいまして…」男は照れ笑いすると、
会場からは笑いが。「嘘じゃないんです。真実なんです。
皆さんも過去生まれた体験を皆もっているんです。
皆さんの心をヒモ解いてゆくと、それがわかるんです…袖すり合うも多少の縁!
ありがとうございました」場内は拍手のウズに。 ブッダ(シッダールタ)は二度と娑婆(此岸/この世)には現れない、
と言っていたので、
とどのつまり高橋先生はとんでもない嘘をついて登場したと思われます(多分サクラ・やらせも使用)。 大川先生は昔は
「私は仏教の宣教師みたいなもので私を『ブッダ』などと呼ぶ人にはこまってるんですよ」
っていっていたのに、
今や「我は再誕の仏陀(エルカンターレ)である!」と言い出す始末。
ここに嘘を見る。
まあでも仏教関係の書籍の一部にはいいこと書いているんですよね。
「8次元世界のナントカが10次元世界のナントカで」とかブッダが全く説いてない意味不明な本、
数々のイタコ本以外は(笑)。 これら怪しい教祖たちの中で、麻原はハタヨーガ、チベット仏教以外は、
結構原始仏典の教えに近い教えを説いていて
(原始仏典を朗読していただけだから誰でもできることなんだけど)、
ということは超高学歴信者達もそれを猛実践していたわけだから、
一人くらいは解脱者がでていてしかるべきなのに、一人も解脱者がでていない。
これが「いかにブッダの教えを具現化して解脱することが難しいか」分かる。
しかしブッダ存命中の時、あれだけ出ていた解脱者/修行完成者が、
ブッダと初期仏弟子死後以降めっきり出なくなったのは何故だろう。
まさに
「苦労してわたしがさとり得たことを、
今説く必要があろうか。
貪りと憎しみにとりつかれた人々が、
この真理をさとることは容易ではない。
これは世の流れに逆らい、微妙であり、
深遠で見がたく、微細であるから、
欲を貪り闇黒に覆われた人々は
見ることができないのだ。」 <サンユッタニカーヤ>のブッダのつぶやき通りに。 仏教なんてムダムダ。
それより、天地の創造主を信じろ。 >>268
信じるだけで救われる道の方がどんなにラクか。
聖書を信じられたらどんなにラクか。
それができないから、ムダムダな道をやむなく選んでます。
というのも死後天国に行きたいとかも思わないし、現世利益も一切求めてないんだもん。
仏教さえこの世になければラクだった。他にはキリスト教しか無いからねえ。
仏教さえこの世になければ間違いなくキリスト教に入ってたよ。 >>268
旧約聖書100回読んだけど、どうしても駄目だった。
ところで君はヨブ記の意味(言いたかったこと)わかる? 270.
人間が、いかにバカであるか、ということであるよ。 >>267
元々悟った人が人として生きて悟った体験をしたからでしょ
悟った人が何もしないで法を説いても衆生には距離がありすぎる
だから普通の人が方法論で悟ったという形を取ることで
自分も解脱できるのではと思い修行に励む
釈迦の追体験をしても元々高くない魂はそこそこしか悟れないんだよ
釈迦が生まれると同じくソウルメイトの一連が共に下生して弟子になってる
だから高いんでしょ
全ては計画の元に行われただけ
ソクラテス、プラトン、アリストテレスが同時代に生まれたりするのも意図的に高みを作り出し
のちの文明の潮流を生み出すため
目を凝らして見たら神の計画が歴史には流れてるよ >>272
その話とは関係ないけど、君は仏典読んだことある?
君の読んだ仏典教えてよ。イヤならええけど。 「俺がガンダムだ」
↓
「俺は・・・ガンダムにはなれない・・・」
↓
「もう一度、ガンダムになるチャンスを・・・」
↓
「俺が、俺たちが、ガンダムだ!!」
↓
「お前たちがガンダムであるものか!」
ガンダムをブッダ、出家者、仏教徒、エル・カンターレなどに置き換えて読むと
また違った味わいが出てくるな >>273
釈迦が人には悟れる悟れないの差が生まれ持ってあると語ってる
なら悟りの高い集団は本来から高いと見なすのが自然
ギリシャ文明が享楽的に堕落したのを見て
今度は逆にストイックな教えを広めるために
計画されたのが仏教 >>275
あのお....。質問の答えになってませんけど。
まああえて返すなら「釈迦が人には悟れる悟れないの差が生まれ持ってあると語ってる」
というのはどの経典のどこに書いてありますか? 大方、深見さんかなんかのニューエイジ・スピ本に適当に書いてあった出所不明の論を真に受けて、
そこから引用した、くらいの所でしょう(笑) >>276
縁覚声聞など悟りに触れても受け取る度合いはその機根による
悟れないひとは悟れないと語っている
後に大乗になる時に大衆迎合されて仏性が宿ってるから
全てが悟れると変遷しているが
つまり人には素質や才能が有って平等ではないと言っているわけ
誰もが釈迦と同じ人生を歩んでも同じ境地には達することは出来ない
それはいくら練習をしても全ての人がイチローにはなれないのと同じ
ごく当たり前の事実ですよ
大衆あなた同様馬鹿だから方法論を提示されたら同じ結果が得られるとぬか喜びをする
禅問答の様にわかる人は分かり貴方の様に高い境地から生まれてない人には
絶対に分からない
でも凡夫にもある程度の高みに到達出来るから安心してください
貴方の様な人を救うために釈迦は生まれてきたのですから
良かったですね >>279
>後に大乗になる時に大衆迎合されて仏性が宿ってるから
>全てが悟れると変遷しているが
とはいっても仏種は誰にでもあると説いている法華経でも、一切種智を得て仏になるのは、舎利弗始め十大弟子でも今生の話ではなく、
遠い未来の話となってるから全てが悟れるとか言ってもそうそう容易ではないのよ 「俺がガンダムだ」(初期仏教)
↓
「俺は・・・ガンダムにはなれない・・・」(アビダルマ仏教)
↓
「もう一度、ガンダムになるチャンスを・・・」(大乗仏教)
↓
「俺が、俺たちが、ガンダムだ!!」(本覚思想)
↓
「お前たちがガンダムであるものか!」(大乗非仏説論) >>270
268だけど、聖書の中で一番くだらないのがヨブ記。
旧約聖書を100回も読んだ?
時間の無駄しましたねえ。
消えた時間はもう戻らない。
ご愁傷様wwwwww 早い話が、仏教は実践しないと凡夫の頭ではわかるわけがない!ということです。
仏の悟りが、そんな簡単に理解できるわけがないんよ。「以信得入」って、あの知恵第一の舎利弗でさえ、信ずることによって悟りを得たんだから。
なんども言っているように、野球の教本を何万冊読もうと、イチローにはなれないという当り前の話です。
それから勘違いしている人が多いと思うけど、「悟りを得る」=「仏」じゃないんよ。 >>285
大般若波羅蜜多経風に言うと、
「ここにも般若心経が読めてない人がいるが、
実はここには般若心経が読めてない人など誰一人もいないのです。」
「ここには般若心経が読めてない人を適格に指摘する人がいるけれども、
実はここには般若心経が読めてない人を適格に指摘する人など誰もいないのです。」
という風に書かれる(笑)
このような言い回しを無駄に逐一付記する大般若波羅蜜多経の狂った経文群は、
個人的には嫌いです。何故そんな風に大般若波羅蜜多経がかかれているかのかは分かりますが、
くど過ぎて「もういいから、やめてくれその無駄な記述方式は」となる。 機会があったら一度「大般若波羅蜜多経」、読んでみてください。
キィィィィイイイヽ(`Д´)ノヽ(`Д´)ノヽ(`Д´)ノイイイィィィィってなること受けあい。 287.
読むバカとなる。
283.
実践の基準が問題となる。
バカ仏教が基準となっているよ。 『摩訶般若波羅蜜経巻1奉鉢品』
『舍利弗白佛言。菩薩摩訶薩云何應行般若波羅蜜。
佛告舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不見菩薩不見菩薩字。不見般若波羅蜜亦不見我行般若波羅蜜。亦不見我不行般若波羅蜜。
何以故。菩薩菩薩字性空。空中無色無受想行識。離色亦無空。離受想行識亦無空。色即是空。空即是色。受想行識即是空。
空即是識。何以故。舍利弗。但有名字故謂為菩提。但有名字故謂為菩薩。但有名字故謂為空。
所以者何。諸法實性。無生無滅無垢無淨故。
菩薩摩訶薩如是行。亦不見生亦不見滅。亦不見垢亦不見淨。
何以故。名字是因緣和合作法。但分別憶想假名說。是故菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不見一切名字。不見故不著』
しかしリピートが多いのは大般若経に限らず仏典のお約束
アーガマからして口伝しやすいように反復が多いのよ >>286
ただいないとするから誤解を生じるんだね
実体としては、常住の存在としては、勝義としては、自性としては、こういった言葉がないの前には必要
般若心経では無〜、無〜の前に是故空中とちゃんと釘をさしている
ついでに根本智と後得智の関係から
ここには般若心経を読めてる人も読めてない人も実体としては存在しないが、無自性の存在としては縁起によりて般若心経を読める人も読めない人も存在する
とすると良いよ >>289
それは我も認めるところであります。
>>290
そのニュアンスは僕はわかりますが、きっと普通の一般の人には、
その>>290文は「暗号」としてでしか伝わらないと思います(笑)
フツーの人でも「般若心経を唱えることはできる」方が割りと意外にいますが、
その経文の意味を知っている人は、まずいませんね(笑)
まあ別に般若心経の意味が理解できたとしても、悟れるわけでも解脱できるわけでもありませんが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています