人生ってたまんないね!! [無断転載禁止]©2ch.net
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年収(手取り)170万円
月の生活費
ネット7000円
携帯7000円
車保険5000円
ガソリン6000円
家に入れる分4万円
その他出費1万円
絞めて7.5万円
7.5×12=90万円
170-90=80万円
80万円からその他車検や冠婚葬祭、大きな買いもなど色々引いて年に60万円は貯金できる
25歳から働いていて今年29歳になる
今の貯金が200万円で今年の末に260万
来年30歳の年に320万円10年後の40歳で920万円
さらに10年後の50歳で1520万円
さらに10年後の60歳で2120万円
さらに5年後65歳定年で退職金含めて貯金2700万円くらい
年金を年に100万貰えるとして
1年の消費を多く見積もって200万円
つまり実質年100万円の消失
2700÷100=27年は生活水準を下げずに生活できる
そして65+27=92歳(ここまで独身童貞)で人生に幕を閉じ
天国に向かう 天国で25歳からスタート
大企業に就職し年収(手取り)プライスレス
月の生活プライスレス
29歳の時に天使橋本環奈(14才)と結婚するプライスレス
40歳の時には子供を授かりマイホームを購入するプライスレス
50歳の時には早期退職し妻の天使橋本環奈(14才)と娘の本田望結(12才)やエマ・ワトソン(12才)などたくさんの家族と幸せに過ごすプライスレス
65歳のころにはひ孫もできて大家族で幸せに暮らすプライスレス
老後の心配などせずひたすら天使橋本環奈(14才)と愛し合いさらにたくさんの子を授かるプライスレス
ここまでに消費した精液量プライスレス
92歳のときたくさんの愛しい人にたくさん愛されながら幸せの絶頂とともに息を引き取るアヘ顔ダブルピース
ここで私の生涯に終止符がうたれるのである
不幸せが長く続けば続くほどその先の幸せも長く続き
不幸せが深い深い闇の底にあればあるほど幸せが高く広い大空まで駆け巡り
不幸せを知っているからこそ知れる幸せもあり
不幸せでも生きて死ぬまでに人は幸せになれると思います
終わり良ければ全てよし
自分という物語をハッピーエンドに
これこそ今思いついた
プラス思考教の誕生の瞬間である
この歴史に刮目せよ ここから俺が乗っ取るわ
楽に生きるためのメモ帳にする 悩みや苦しみの原因って扁桃体らしい
なら、扁桃体ちっさくすりゃ万事解決って事やな 努力は報われるとか、因果応報とか、実際は嘘やなぁ
どんな努力しても善行を行なっても、死はいきなりやってくる
迫ってくるんやなくて、落とし穴みたく、いきなり全てを攫っていく 病気や怪我の苦しみ以外の苦しみって、ただの幻想や
己は作用の集合体であって、確たる自己なんて無いわ ふと思った
人間って宇宙から肉体借りてる状態だけど
一番最初の物質ってどこから生まれたもの?
一番最初の生物は?
精神どころか、肉体すら本当は無いんでないの?
ただ、有ると感じているだけで
この五感の感じているものは、必ずしも正しいとは言えない 成長は必要ない
何かを得ようとするのではなく、捨てて捨てて身軽になるのが正しい
成長の先にあるものは死でしかない
こだわりを減らす、求めるものを減らす 世界とは、自分が見てる景色のみ
己が感じられるものが世界であり、同じ景色を見れるのは己のみ 言葉に本来意味は無い
ただの空気の振動に意味を上乗せしているだけ 思考は勝手に湧きあがる
人は何か衝撃を受けた時、思考を暴走させる
思考は肉体に組み込まれた作用であり、己の管理下にはない
思考は己ではない 不安や恐れを感じていても、それをそのまま受け入れれば良い
良し悪しの判断はしない
ただ、流れるままに この怒りは逃避
不安と後悔を誤魔化すための逃避
恐れていることを直視する
そして、これは条件反射でしかないと、よく確認する
恐れているのは己ではない
身体の反応として、扁桃体が肥大化しているだけにすぎない
己はただ、観察するのみ
思考は後付けにすぎない 捨てる、捨てる、捨てる
反応を自己と同一視しない
ひたすら身体の動きのみを眺めろ
頭は涼しく、重心は腹に有り 怒りは全て心配の裏返し
心配すること自体が恐怖の根源
何が起きても、感情は己でなく肉体的な反応だと理解できれば、恐怖も不安も怒りも焦りも無くなる 己は容器
己はからっぽ
己は環境に応じて形の変わる入れ物 誓いとは、ただの反応に意味を上塗りしたものだ
願いとは、ただの反応に意味を上塗りしたものだ
ただ観察すれば良い
その意味付けした原因は、恐怖からの逃避にある さあ、捨てろ
守るべきものなんて何もない
有るのは反応だけだ 苦しみを感じた時に快楽を刺激を求めるのは逃避に近い
ただ肉体と感情を観察すればいい 苦しむことは純粋な悪ではないよ
苦しむ理由でいちばんよくあるのが、のぞみが叶わないことだから
望みが叶わないのは、いまあるもので生きる知恵が足りないから
それはどうしようもないこと
生まれつき物不足でも快適に生きる知恵を持っている人なんてあまりいないだろう
だから苦しんでいる 訂正
物不足でも快適に生きる知恵を
生まれつき持っている人なんてあまりいないだろう 苦しむときに快楽を感じてはいけないと思うなら
「ダメージを食らったら回復する」と思えばいいだろう
逃げてはいけないという精神論、根性論で適当に言って
多くの人は痛めつけるだけしかやり方を知らない。
痛めつけるだけでは、弱って当然だ。
だから慢性的に疲れが残る
人は、疲労がたまりすぎれば、騒ぎ、
それでもだめなら、病気になり、
それでもだめなら、異常行動をし、
それでもだめなら、自殺する。 逃避しているときは逃避している自分を観察する
感じている感覚をそのまま認め、意味を上乗せせず、そのまま観察する
不安や恐怖や怒りを感じた時その感覚を観察する
喜びを感じた時も、その感覚を観察する
そこには機能としての脳や肉体の働きしか無く、己は無い その傷は肉体の傷と同じだ
己が傷ついているのではなく肉体が傷ついている
肉体は、身体は、脳は、己ではない
機能が備わるだけで、発生した働きは己の本体ではない
己には本体などなく、ただ観察する者が居るだけ 観察した対象の善悪は判断しない
道徳心や社会常識なるものは無視する
苦しみには高低は無い
子供の苦しみも、老人の苦しみも、苦しみは苦しみだ
己の苦しみは、湧き上がる感情に価値を上書きすることから始まる
その感情を味わい尽くす
上質な料理を全身全霊で味わうように 良い考察を得た
全身全霊で味わえば良いのだ
全身全霊で肉体の感覚を観察し、全身全霊で思考を観察し、全身全霊で感情を観察する
そして、嫌なものを消すように意識する必要はない
ただ見つめていれば、それが大した意味をもたない事に気づく
大人が紙芝居への興味を失うように ソープ代を無視できる聖人になるために支払ってるコストも公表しないと不公平だ キリスト教宣教師(75)、インドで孤児院の少女を常習的にレイプし逃走中
キリスト教関係者は総スルー
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1377082052/
【キリスト教牧師】 キリスト教会、セクハラ牧師問題で謝罪文発表
「キリスト教牧師は長年にわたりセクハラや暴力行為をしていた」
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1420032194/ 不安と恐怖は未来にある
後悔と悲しみは過去にある
今、この時には、この時しかない さあ、逃避を見ろ
あるがままに心を見ろ
追われるように生きている現状を見ろ
お前が大切に守っているその財布の中身は空っぽだ
大金なんて入っていない >>32
>その感情を味わい尽くす
>上質な料理を全身全霊で味わうように
なんのために味わうんだ。どうせ死ぬわけだが。死んで無になるのだろう? 理解できるようになるから
恐怖は恐怖、苦痛は苦痛で、身体の反応と心の反応を観察する
死は死で観察し、生は生で観察する
生も死も関係ない 生きる事に意味は無く、死ぬ事にも意味はない
思考と感情が意味を上乗せして、それで己の常識をつくるだけ
己の常識が荷物をつくり、苦しみと快楽をつくる ハァイ♪
さいきん悟りを開いちゃいました!(笑)
ブログやってます。
http://blog.livedoor.jp/kosokeme/
お気軽にコメントくださいねー。(´艸`*) ハァイ♪
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お気軽にコメントくださいねー。(´艸`*) 不快から逃げようとしている
その不快の原因は何だ
何もない
ただの習慣だ
不快を不快と思うのは何故だ
ただの習慣でしかない 自己とは記憶と反応でしかない
記憶は身体の機能でしかない
機能は必ず間違いを犯す
過去は無い
機能があるだけで、確たるものはない
赤ん坊も老人も、今だけの存在
故に、老は無い 似た機能が集まると社会になる
似た機能であるから、おおむね整合性がとれる
しかし、その機能には差異がある
自然から見れば、社会通念は何の意味もない 己は何者でもない
あるがまま
優れていても劣ってもいない 自然の一部が己である
自然の一部が他である
そこには何の過不足もない
過不足を決めるのは己の欲
優劣を決めるのは己の欲
この自然を道を宇宙を切り取り、一部を誰かの所有物と思い込むから苦しみが生まれる
巡る、ひたすら巡る あぁ、苦しみと理法があるから、苦しみを消す方法を知れる
ありがたい
大抵の苦しみは思考から生まれる できないことに苦しみを感じず
できることに拘りを持たない 思考によって価値を判断して意味を上乗せするから苦しむ
過去の失敗をどうして悔やむのか
失敗を悪いものと捉える分別
社会の常識との整合性への拘り
記憶への過剰な信頼 が原因である
自然には、宇宙には、善悪の区別は無い
自然には、宇宙には、社会常識など何の意味を持たない
自然には、宇宙には、過去を実証する術は無い 価値の有る無しは、己の基準
他者の価値観も、己が受け入れれば己の価値観となる
価値あるものも朽ちて自然に混ざる
価値の保存は千年程度が限界
この世に朽ちて循環しないものは無い
すべてのものは一時的なもの
腐敗は、人から見れば恐ろしいもの
腐敗は、微生物から見れば命の営み
腐敗は、自然から見れば循環
自然が事実であり、法則を正しく見るのが理法
死は、腐敗は、排泄は、循環でしかない
どこに滅びがある
意識は肉体の作用でしかなく、意識は己ではない
己など作用の集まりであり、確たる己などない
固定化していないものに対して幻想を抱くことが苦しみの始まり 社会の価値観とは、個人の妄想と欲望の集合体
固執すれば心身の破滅を招く 放下せよ
苦しい時、思考を、拘りを、常識を、識別を、すべて放下せよ
ただ呼吸と肉体を観察せよ
言語も捨てて良い 人と関わるから楽しいのではない
人を介して己の世界を見ているだけ
人は己の見えているものしか見えないし、見ない 人の頭なんて、なんらかの薬が入り込めば別の作用を産む
思考なんて、作用でしかない
気分の良し悪しを感じるのも頭の作用でしかない 他人とは、己の意味づけした形でしか見えない
己ですら、自分が意味付けした形でしかない
すべての意味付けを排除すればいい
そこには、命があるだけ 先の事を考えれば不安が生まれ
他人の事を考えれば不満が生まれる 今感じている感覚が、そのまま生きるということだ
それ以上のものはこの世に無い さあ、楽に生きるのだ
己に執着せず、他人に執着せず
過去に執着せず、未来に執着せず
逃避でもいい
逃避でもいいから、それを観察しろ
観察したものを評価しない 人は移り変わり、環境と刺激により変わるもの
失敗した自分、成功した自分に固執しない
今の生を、ただ生きる 皆、普通の基準に怯えている
逃避していることに気づいていない 過去の努力なんて関係ない
今、この瞬間を坐れているか否かが重要 積み重ねる、という意識は誤り
思い入れが強くなり、意地や自尊心が生じて結果に固執するようになる
過程こそ人生 人の気持ちは揺れ動く
人の価値観も揺れ動く
固めるな
水の形にこだわって、意識を上乗せするな
水の上に家は建たない 自分の身を大切に扱うのは良い
安楽に生きれば良い
程よく眠り、程よく動き、程よく食べる
自他の比較、過去未来への妄想は控える 社会生活での苦しみは自他と過去未来への想念にある
先ず、己の思考や気分は揺れ動くものであり、その時々の肉体の状況により変化する
他者への評価と過去の考察は、思考と気分により意味付けが変化する
今の肉体現象が過去と他者への幻想を生んでいる
今、この肉体と意識を呼吸と感覚のみに集中すれば、すべて消え失せる 姿勢が思考をつくる
呼吸が思考をつくる
内臓が思考をつくる
神経が思考をつくる
血液が思考をつくる 感情が揺れ動く
疲れと不安を餌に、怒りがよってくる
その疲れも一時的なもの
さあ、放下しよう
他人の評価、評判への警戒は己の心の鏡 事実に対する怒りも、憶測に対する怒りも、共に悪魔の囁きだ
この社会生活に事実は少ない 己は何者でも無い
己はこういう人間、己はこうやって生きてきた、己はこうやって生きていく
己、己、己
流れる水を掴むことはできない
己とは水
己とは空洞
己とは生と滅を繰り返し循環するもの 漫画、テレビに楽しみは無い
怠け心ができるだけ
無人で目の前に没頭し、感情の入る余地の無い状態こそが楽しい 俺は仕事に疲れていたのではなく、消化に疲れていたのかもしれない
夜の食事を抜くだけで充実する ゴールを求めて行動すれば苦しみと焦りがつきまとう
遊びに楽しみは無い 己の吐いた言葉に固執し、他人に付けられた評価に固執することがある
それも放下、放下 その緊張をくまなく味わい、緊張と一体となり、緊張している事をひたすら認め確認する
そうすれば緊張のみが存在し己が消える
己が消えれば、緊張はなくなり、他者もなくなり、こだわりも消える 色を付けているのはお前だ
他人じゃなく、お前だけだ >>88
テレビは魔法のように人の知力を下げる道具だ。
マンガは、知能を下げようと思えばどこまでも下げることができる。
そして、どの作品も考える作品は存在するが、まったく教育になっていない。
その理由は、売るためだけに作っているから。
教育番組ですら、視聴率を誇る。
まずはその特徴(金が全てという価値観が世界を支配していること)を知っておく必要がある。 テレビは視聴者の反応を決めてから作ることにしている。
どんなに「面白い作品を」といったところで、真の意味で視聴者の立場になることはない。
これは話題の選択により、ごまかせる。
日本のテレビはあり得ないほど知能が低い番組を作る。
仮にCMで教育しようという組織があれば、何もわかっていない。
「宣伝は知能が低いほど良い」とヒトラーが書いている。
そして、日本のテレビはおそらく、ありとあらゆる要素をCMに替えようとしている。
さらに登場俳優の行動はテレビ業界の押し付けたい概念の洗脳のために用意されている。
これに従わない芸能人は、仕事を干されることによって、事実上の永久追放になる。
(見た目は、売れない芸能人にとっては、売れないまま有名になることを諦めることになる) 外国のメディアの話し方を知るとわかるが、日本はあり得ないほど
内容に考えるところが見いだせない。
あきらかに、たった一つの意味だけですべてを表現しようとする。
「そうだけど、そうじゃない!」などとアニメで言いそうなセリフだが
これこそが、難しい意味を全く言わないように努力した結果だ。
日本のメディアは、難しいことを言わないようにするあまり、
信じられないほど頭の悪い表現だけで話を作っている。
まず、これだけでも視聴者の知能は下がる。 学校教育は、ただロボットのように入力したから消えない程度にしか考えていない。
子供たちの記憶力の限界や、成長速度に対応することは不可能である。
教育を実行する前に、だいたいの方針を考えた時点で結果が決まる。
平均の実力を設定し、実力が平均に達しない人間は、どんな理由が有ろうと切り捨てる。
落ちこぼれた人間は、やり直しをしようと努力して社会に出てきても、排除するだろう。
なぜなら、学歴のせいである。
成長速度には対応しなくていいため、あとで使える人間になっても排除し
半永久的な人材不足に陥るだろう。
学校に限らずあらゆる組織は、学習者の記憶力の限界は想定外だ。
覚えない人は、定性的なことも定量的に判断し、容赦なく切り捨てる。
教育は10年で考えろと言っているのは、結果を見たからであり、考えたからではない。
森友問題を上げるまでもなく、日本にある組織の多くは、やっていることに一貫性がない。
頭の回転が異常なほど遅い。
「日本人は点検が苦手です」リー・クアン・ユー『目覚めよ日本!』より ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています