最晩年の釈尊は、悪魔から「もう死ぬべき時だ」と誘われた時にこのように答えます。

「わが修行僧であるわが弟子たちが、・・・みずから知ったことおよび師からおしえられたことをたもって解説し、
説明し、知らしめ、確立し、開明し、分析し、闡明し、
異論が起こったときには、道理によってそれをよく説き伏せて、教えを反駁し得ないものとして説くようにならないならば、その間は、わたしは亡くなりはしないであろう。」
(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳 岩波文庫)

 この言葉も、無念無想の無分別知とは正反対の、言葉によって分析し合理的論理的に説明し伝えるという姿勢をはっきりと示しています。
禅宗の不立文字の伝統とは正反対です。