<時空と個人性を超えた世界> を知れば、「悟りの段階(ステージ)」 などは妄想で
あることがわかるようになります。
段階(ステージ)があると思うのは <時空と個人性を超えた世界> を知らない者だけ
なのです。
お釈迦様も達磨大師も悟りの段階などは方便としてしか語っていません。未熟な弟子達が
その方便を真実だと思い込んで一部の経典に書いていますが、それらは 「此岸」 から見た
妄想に過ぎないもので、「彼岸」 ではそのような妄想は消えてしまいます。

人の本体に個別性があると思う 「無明」 の状態にある者だけが悟りに段階があるという
妄想を抱いてしまうのです。
それは、「着ている衣装の生地やデザインが立派だから、その人のステージは高い」 と思う
のと同じように愚かなことなのです。

宝珠真範という男は、まだ 「無明」 の中で夢を見ている人間なのです。