日本語は駄洒落を作るのには便利な機能だ。例えば無いという言葉を内に変換して世界を出鱈目なイメージで妄想する。正解に
たつた一つの魂我あるとして、その世界を現す機能つまりハードは玉の中にあり?玉の表面庭色々な(穴多?)がまるでプラネタ
リュムみたいに輪多枝(私)がありその穴の一つ目から空(から)が観える?身得る風景は私の目で見ている風景。つまり宇宙で一
つ魂今此処を見ているのか?だから玉の中見ようとしてもコンピューターの機能みたいに法則を決めているのか時空の法則も
そこで決められる。後は玉の表面に色々な思いが移る空。中々中は身縁?縁が内?つまり無いのじゃなくて内蔵しているけど
見えないのか欲輪借らん。世界は一個の珠であると玄さ和尚は言う師、解らない答えは輪空内にあるのかも知れない
穴多は片手の人の拍手の音声を聞いて来い? 求めるのも元の眼が今此処を見ている同の行の何時手もまあ良いか
今朝のは自己政党化かそれとも言い訳まあ何だかんだ学べるよね日本語凄い
でも鈴木大拙さんはキリスト教の女性の対談で解らない所を神に押し付け逃げ宗教が逃げ延びたのか科学的にかつこ悪いけど
相手に合わせ過ぎなのか?でもこの人は学者だからまあ良いか。