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キリスト教 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001神も仏も名無しさん垢版2017/02/05(日) 15:09:44.92ID:pNngxdaq
0494老クリスチャン垢版2017/11/06(月) 16:43:03.39ID:9swVoahZ
【福音の学び D】
イエスはヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられました。
イエスはご自分の洗礼において、その死と復活とを先取りされました。

キリスト者は洗礼の秘跡によって、このイエスに結ばれます。
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死に与る者となります。
それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです(ロマ 6:1-11)。

(カトリック教会のカテキズム 535-537 参照)
0495老クリスチャン垢版2017/11/06(月) 16:45:24.95ID:9swVoahZ
【福音の学び D への解説】
罪のない神の子が、なぜヨハネから “罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼” を受けたのかは、原始教会においても論争されたようです。
一方には、イエスは神の子であるから罪を犯していない(はずだ)という主張がありました(ヘブ 4:15、Iペト 2:22以下)。

他方には、「自らその身にわたしたちの罪を担ってくださった」(Iペト 2:24)ことが、決して単なるお芝居ではなかったという、真剣な主張がありました。
それが、「御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り ・ ・ 」(ロマ 8:3)、「キリストは、わたしたちのために呪いとなって ・ ・ 」(ガラ 3:13)などという弁明です。

「イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかった ・ ・ ・ 神はこのイエスを復活させられた」(使 2:24,32)という証言は、
「悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れた」(Iヨハ 3:8)などと共に逆説的に、「陰府に下り」 という使徒信条の用語の背景をなしているように思われます。
2chで以前に(かなり不真面目に)非難されていた “十字架蛇説?” も、新約聖書そのものに起源があるのです。
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