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>>481-482
老クリスチャン 降臨
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> 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!!<
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老クリスチャンが来るおまじない
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(((_)☆ 【福音の学び C】
「公現」(マタ 2:1-12)は、イエスがイスラエルのメシア、神の御子、世の救い主であることを表すものです。
周辺の異教徒たちを代表する 「占星術の学者たち」 は、ユダヤ人の王を拝むためにやって来ました。
この訪問は、異教徒がユダヤ人に目を向け、彼らから旧約聖書に記されたメシアについての約束を受け入れない限り、イエスを見出し、彼を神の御子、世の救い主として礼拝できないことを示しています。
「公現」 は、数多くの異教徒が信仰によりアブラハムの子孫となり(ガラ 3:26-29)、約束された栄光にあずかる(ロマ 4:13〜5:2)ことを表しているのです。
キリストの福音によって、「秘められた計画」 が啓示されました(ロマ 16:25)。 それは、異邦人が福音によってイエス・キリストにおいて、約束の神の国をユダヤ人と一緒に受け継ぐ者になるということです(エフェ 3:6 参照)。
(カトリック教会のカテキズム 528 参照) 【福音の学び C への解説】
すでにかなり早い時期から、西欧キリスト教世界では、自分たちキリスト者が “異邦人” であるという自覚を失って、教会こそが福音の真理と恩恵を全世界に分け与える聖なる民であると、思い上がるようになりました。
そして、教会は自らが異邦人であることを見失った代償として、イスラエルに約束されていた神の国を受け継ぐという “秘められた計画” を理解出来なくなりました。
私たち教会は、「福音によって ・ ・ (神の国を)ユダヤ人と 一緒に受け継ぐ」 のだという、エフェ 3:3-6 のテキストを理解するためには、もう一度自らが異邦人であること、与える側ではなくて受ける側にあるということを思い起こさなければなりません。
それが聖書の語っている “秘められた計画” なのです。 >>486-487
老クリスチャン 降臨 ___
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, - 、 老栗 チャッチャッチャッ♪
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> 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!!<
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老クリスチャン
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21 :老クリスチャン:2017/11/06(月) 08:51:49.13 ID:9swVoahZ
【聖書神学とカトリック教会の教え@】
私が2000年から2014年までの15年間にわたって、主日のミサの朗読配分にしたがって毎週WebSiteに掲載してきた 「聖書の学び」 が、
現在でも神のことばに耳を傾けようと願う信仰者たちによって毎週熱心に閲覧され、福音の証しとして主によって用いられ続けていることを感謝したいと思います。
しかし残念ながらカトリック教会の信者の方々(司祭にせよ信徒にせよ)の中には、啓示憲章に 「聖書の研究は神学の魂のようなものであるはずである」(24) と述べられていることを正しく理解していない人、
あるいは見落としている人がかなり多いように見受けられますので、多少の解説と弁明を書くことが有益だと考えました。
ローマカトリック教会20171102
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1509622760/21
22 :老クリスチャン:2017/11/06(月) 08:52:36.52 ID:9swVoahZ
【聖書神学とカトリック教会の教えA】
新約聖書がキリスト教の正典として成立して以来、教会で長く用いられた聖書解釈の方法は、オリゲネス以来のアレゴリーによる 「霊的解釈」 でありました。
この解釈の主な原動力は教会の教義であって、しばしばその教義に合わせようとしてこじつけに陥り、聖書本文の字義的解釈が無視される傾向を持っていました。
このような解釈方法から離れ、教義から独立した近代の歴史的批評的聖書解釈が大方の承認を得るようになったのは、ようやく19世紀以後のことであります。
20世紀にはそのような新しい聖書神学が、キリスト教界の多くの教養人たちを覚醒させました。
カトリック教会も第二バチカン公会議の公文書において、積極的にこのような新しい聖書理解を取り込みました。
特に 「神の啓示に関する教義憲章」 にはその成果が反映されています。
ローマカトリック教会20171102
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1509622760/22 【福音の学び D】
イエスはヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられました。
イエスはご自分の洗礼において、その死と復活とを先取りされました。
キリスト者は洗礼の秘跡によって、このイエスに結ばれます。
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死に与る者となります。
それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです(ロマ 6:1-11)。
(カトリック教会のカテキズム 535-537 参照) 【福音の学び D への解説】
罪のない神の子が、なぜヨハネから “罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼” を受けたのかは、原始教会においても論争されたようです。
一方には、イエスは神の子であるから罪を犯していない(はずだ)という主張がありました(ヘブ 4:15、Iペト 2:22以下)。
他方には、「自らその身にわたしたちの罪を担ってくださった」(Iペト 2:24)ことが、決して単なるお芝居ではなかったという、真剣な主張がありました。
それが、「御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り ・ ・ 」(ロマ 8:3)、「キリストは、わたしたちのために呪いとなって ・ ・ 」(ガラ 3:13)などという弁明です。
「イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかった ・ ・ ・ 神はこのイエスを復活させられた」(使 2:24,32)という証言は、
「悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れた」(Iヨハ 3:8)などと共に逆説的に、「陰府に下り」 という使徒信条の用語の背景をなしているように思われます。
2chで以前に(かなり不真面目に)非難されていた “十字架蛇説?” も、新約聖書そのものに起源があるのです。 >>494-495
老クリスチャン 降臨
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わしの出現こそ、ベネディクションであり、主の再臨である! 【福音の学び E】
十字架の死と復活というキリストの過越の神秘は、原始教会以来代々に亘って歴史の教会が世界に告げ知らせて来た「福音」 の核心を成しています。
「(キリストは)御自身の血によって、ただ一度(天の)聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブ 9:12)
神の救いの計画は、キリストの献げられたこの唯一の献げ物によって、実現されました(ヘブ 10:12-14,18 参照)。
「わたしたちの過越キリストは、世の罪を取り除かれたまことのいけにえの小羊、ご自分の死をもってわたしたちの死を打ち砕き、復活をもってわたしたちにいのちをお与えになりました。」(復活徹夜際と復活節中の叙唱)
(カトリック教会のカテキズム 571 参照) 【福音の学び E への解説】
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、 ・ ・ ・ キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと ・ ・ 」(Iコリ 15:3-4)
「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。 御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。」(ロマ 1:2-4)
「キリストは ・ ・ ・ 御自身の血によって、ただ一度(天の)聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブ 9:12)
「われわれの救い主は、渡される夜、最後の晩餐において、御からだと御血による聖体のいけにえを制定された。 それによって、十字架のいけにえを再臨のときまで世々に永続させ、 ・ ・ 教会に、御自分の死と復活の記念 ・ ・ を託された。」(典礼憲章 17)
「十字架上のいけにえと、ミサにおけるその秘跡的再現は、奉献のしかたを除けば同一のものである ・ ・ 」(ローマ・ミサ典礼書の総則/暫定版 2) >2chで以前に(かなり不真面目に)非難されていた “十字架蛇説?” も、
>新約聖書そのものに起源があるのです。
贖罪というのは、罪、咎なく、汚れないというのが条件です。
イエスの贖罪をとるのなら、地上で受肉したとしても、
赤子のままで、罪穢れなかったからこそ贖うことが出来た、になるはずです。
罪人としての処刑なら、贖罪は成立いたしません。
つまり蛇=サタン=イエス、 のイエスが十字架処刑という主張であるのなら
贖罪と、どういった整合性として成り立っているのですか? >>503
あなたのような論理を主張する人も、たくさんいます。
自分が理解できる論理に対応しない聖書の記述を、拒否したり、そんなことを言っているはずはないと否定する人たちです。
立派な主張なのですが、それでは学問としては失格です。
新約聖書はその成立から言って、キリスト教信仰の原初的 “記録群” であって、出来上がった教義学教科書などでは全くありません。
その著者たちや集められた各種伝承の一つ一つが、皆同じことを述べているはずだと思い込んでしまうと、もはや歴史的批評的神学と対話することが出来なくなります。
現代の思考や論理に合致する(させることが出来る)部分だけを受け入れるのは、聖書に耳を傾けることではなくて、聖書を食材の一部として利用して現代流の創作料理を作るようなものです。 老クリさんへ。
先に老クリさんに絡んでいる人がいて、
(人にレギオンと言って回ったりの人です)
ローマ・カトリックスレで見つけまして、
その後こちらのスレが投稿ランキングで上がっていましたので、
久しぶりに見ますと、
昨日の老クリさんの投稿>>495がありました。
そして、今私が良く行く、
癒しスレで老クリさんがまちこさんにここの書き込みの事で
話かけられているのを見ました。
私はその順ですから、>>495を見てとかで、今日ローマの方に書き込んだ
のではありません。
私は、まちこさんは信徒でなく、
ある教派の牧師なので、そこの教派教義に関わる事での
話は無理だ、まちこさんに自由がないとあきらめています。
本日、たまたま「十字架蛇説」の言葉を老クリさんが書かれているのを
みまして、まちこさんがどうというのでなく、
老クリさんのお話を伺おうと思い、整合性という角度でお聞きしました。
お時間がある時で、けっこうです。
(まちこさんどうのとか、巻き込もうとか
私はありませんので、別の私の関心からですので気になさらないでください) >>504
老クリさん、お返事知らずに私は投稿しました。
・・・・・・・
老クリさんは、これこれの聖書箇所の解釈からある教義にまでなり、
また別のこれこれで、この教義にまでなりと、
分派教派に別れる理由でもあるし、ひとつにまとめるのは困難だと
いうご意見でよろしいでしょうか。 >>504
学問として失格ならば、学問はそこで閉じてしまいますから
終了です。どの学問もあらたな展開をみせるのは
学問も生きているからです。
学問でなく、宗教であるから生きたものから離れてしまう要素が
大きいのかも知れません。
それで、それぞれの解釈根拠はあるとして、
蛇説のおかしいところは、
細部でなく、キリスト教信仰の大事な部分とされる
贖罪と対立しませんか? とわたしは尋ねているのです。
蛇説を十字架に置き、罪人イエスにしたら、
贖罪は成立しませんので、解釈でなく、
その二つを合成するそれこそカラクリ創作についてです。 悪魔の憑いた者が用意するものは「不毛」なのですよ。
「正しい信仰」に誘うものではありません。
それを投稿する動機が、その投稿の内容ではなく、自分の中に巣食う
独善や傲慢を補強したり、虚栄心を満足させるため、
コンプレックスの解消のためなどの違う理由で投稿しているのです。
映画でも、悪魔憑きの声は男と女の混声で表現されますね。
二心で語っていること、あやしいことを表現しています。
カトリック信徒は牧者の声を聞き分けて、だれも快いレスを老クリ
さんに投稿しませんね。(ヨハネ10・1ー6)
もっとも、真面目に内容について批判した信徒に対しても、今でも
確認できますが、無視したり誠意のある回答をしたことがありません。
プリティさんは、目が曇って見えないようですが、残念ながら
関わっても「不毛」です。内容にレスしても、あなたの中で何も善いものは
育まれません。 >>508
老クリさんも2chでは、わけわかめの人が多いので
対応がおや?の時があるのは、私も理解できるところですが、
あなたのような人が入れ代わり立ち代わりかき乱したりしますからね。
あなたは、私に対してレスする時、失礼ですから
おそらく、老クリさんにもまともな質問や意見をされた事は
ないと思うのですが、どうですか?
あなたのいう事がほんとうかどうか、
今、心あらたに、まともに老クリさんに内容のともなう意見が
出来るか見せてください。
できますか? >>509
あなたは先日、僕が語ったことを、自分が語ったかのようにウソをつきましたよね。
エイさんが早急に証言してくれたから、あなたのウソがバレました。
なんですか、あの恥ずかしいごまかしは。
過去レスを出して、あなたがどれだけ姑息な人間なのか証明することもできます。
僕はあなたに「どんまい」と書きましたよ? >>509
僕があなたに対して失礼なのではなく、あなたが僕に対して失礼なのですよ。
謝罪はありませんね。 老クリさん
プリティにならいてという人は
原罪も信じないニューエイジなので
相手にする必要ないですよ >>510
あなたが私の話をかき乱したために、エイさんは
覚えておられないのですよ。
私は 神の御計画を「外部」から言うようなキリスト教に対して
被爆被害者に対する態度を問題しており、そもそもあの意見を
述べたのですよ。
あなたは、その私の主眼に言いがかりしかつけていないので、
盲目なのです。
そしてまた、「内部」の信仰による乗り越えであったとしても
錯覚させられた、カルトで自分を納得させるような
カルト洗脳神の御計画なら、自分の越えといっても間違っています。
そういうことを、説明しようとしても邪魔して、邪魔して
いまのように、いいがかりでどんどんあなたは
話を変えながら、書いて、私は元にもどすという消耗をさせられた。
邪魔しするだけ、邪魔する。
私自身の意見なので私が、話の内容、動機、などすべて把握して、話を
展開しています。
あなたの意見で参考になることは、何もありませんでした。
あなたが嘘つきなのですよ。もともとの話の軸も盲目なので
そのような結論にインチキ誘導するのです。
あきれたカルトですね。 >>513
まだウソを言い張るのですか?往生際が悪いですね。
エイさんが、あなたにはその論調はなかったと思うと言われた。
まさにその通りだったのです。僕の記憶もそうでした。
だから僕が、投稿を何個にも分けてあなたを諭したのです。
あなたはいつのまにか姑息に自分のものにしたのでしょう。
当時あなたは白い蛇の幻覚が見えている頃では?
今は大丈夫なのでしょうか?
GLA(ゴリラ?)の人と言われるような言動をするからゴリラと
疑われるのであって・・。 >>513
ゴリラにならって
きんどーちゃんみたいにダンスしなさい! >>541
彼は、そこまで覚えいないと思います。
それよりも私がキリスト教を問題視することに彼の興味がありました。
信仰をわかってあげないとみたいなね。
で、昨日も言われていましたが、私は神の御計画はダメという立場から
であったので、私が神の御計画いいよという訳はないという
論理展開で、記憶が引っ張り出されていたのですが、
そもそも、神の御計画の外部からの被害者に対するキリスト教の態度と
盲信のこわさについての話であり、
神の御計画を信仰者として受け入れるどうか、別の話なので
あなたのはなしなど、分かったうえでの話だと言いましたよ。
話の主眼、主旨を変えようとするあなたの動機など
私の知ったことではない。
あなたよりも、考えた上で話していますよ。
だから、内部的な乗り越えについてあなたも意見したとしても
そんなことは、分かったうえでの話だと言う私の展開ですよ。
ちょっと、私が問題にしたことを、
書き直しておきます。
カルトうそつき、捏造 低俗信仰者のピシャーさん。 <迷信、盲信、 神の御計画>
戦後も宗教盲信の抑止力がかからなければ、
被爆被害者は、我が国も自分も周辺国の
事情はあるのでしかたないとかではなく、また相手国を非難する
感情論だけでなく、
戦争についての客観情報を得るところから入るに違いない。
盲信、国家治安維持法、言論統制、神風、大本営発表などなども
調べて、事実を把握しようと努めるはずです。
そして、核廃絶の必要性を被爆した心身をもって、人類愛で
感情的な苦痛から次元アップして訴えることで乗り越える。
愛で乗り越えます。隣人愛、自分の力でできる事に寄与する。
信仰者は神の御計画の内に閉じられるのではなく、自分の人生の
悲惨さを呪うのでなく、神の慰めと癒しを自分の力で不可能な事を委ねます。
マインドコントロールされていなければ、自分の正直な心には、
キリスト教信者の粗雑なレッテル記号言葉群の
神の御計画という言葉は適用されない。
もっと、もっと慎重で繊細な具体の中での乗り越えは本人だけのものです。
わかったような口先から出る、他者のあるいは加害者側に位置する者達の
「神の御計画」には
宗教信者の迷信、盲信、逃避、軽薄だけでなく、イエスキリストの不在が
あります。 >>516-517
まるで女版の「変なおばさん」のごまかし投稿ですねw
加害者の「神の御計画」で正当化するのはよくない、という幼稚な話が
そもそも議論になるわけがないではありませんか。ところが、
はい、そうです。では終わらなかった。
あなたの理解が浅かったからです。
しかし、よくもまあ二人の記憶を差し置いてのうのうと・・。
とにかく僕は、あなたのことを「平気でウソをつく人」だなという心証を深めました。
先日のエイさんの証言は信憑性は高いですよ。判官贔屓をするような
人ではないというのは今までの投稿でだれもが知っていますからね。
まあいいでしょう。プリティさんはそのウソと屁理屈で多くのものを失いました・・。
僕があなただったら恥ずかしくて、そのハンドルネームでは投稿できません。
ウソを認めず暴れ回る女性ということでゴリラを推させていただきます・・。 >>519
二人の記憶と言うのなら、全文を貼りつけてください。
あなたは、私の主眼に言いがかりをつける立場です。
私は考えがあって書いた立場です。
あなたの
「神の御計画」などはテーマではないし、
話がそれるし、それ以上の事を私は話しているという話の展開を
邪魔しましたよね。
なので、乗り越えの話に焦点をテーマにするなら、
それはそれでできますし、先ほど書いた内容です。
あなたは、自分で考える力はないのですから、
失礼な言いがかりで、話を変えて、何を守っているのですか?
ほらほら、もう頭が狂いだしていますよ。
もちろん外部からの神の御計画なのですが、
そこには、信仰者を抑圧する構造があって、単にそれだけではなく
公文書公開にあって、迷信を打ち破る事の重要性の話です。
いつも思います、ピシャーさんの話は中身がなさすぎなのです。
・・・・・・・・
さあ、老クリさんに、いいがかりでない、まともな内容ある
意見が言えるかどうかの、正念場ですね、ピシャーさん。 >>520
あなたは覚えていませんか?
わけのわからないことを書くから、一行一行僕が添削してあげていたことを。
あなたのなおさん時代ですよw >>521
ああ、的がはずれており、自分の思いたい事の方に書き換える
しつこさには、うんざりしました。
あなたのずれとすり替えの病気以外、なにものでもない単なる症状です。
さて、その症状を抑えて、老クリさんにまともな意見がいえるかどうかですね。 あれが僕です。そして僕は、文体をいろいろ変えます。
「ピシャー」では「です、ます」調で書きますけどね。
内容がない?(苦笑)内容が無いような設定のキャラと思ってください。 多くの人から「わけがわからない」と言われているのはプリティさんですよ?
独りよがりの文章を書くのは?で、あなたの内容のある投稿はどれですか?
正直、あなたから何一つ学んだという記憶はございませんが?(笑) >>524
いいえ、大多数ではありません、知能指数の問題です。
現に分からないと言われれば、書き直しますが、
それでも、チンピラしてくるようなあなた方は、
邪悪な霊性にあって動機が穢れきっているだけです。
あなたの人生の目的はなんですか?
目的よりも、宗教よりも、まず治療に専念しようね。
結局、老クリさんにはまともな意見が言えない、
チンピラしていただけ、という事で。 >>522
いいえ、そしてあなたをこてんぱんに論破しました。あなたが海通路?という
コテハンのときです。めちゃくちゃなことを言っておられました・・。 当時、負けた?もしくは、かなわない?と思って負けた記憶があるはずです。
あれが僕です。 >>527-528
完璧意味不明。
まず、犯罪者でもできるチンピラいいがかりをつける事ではなく、
自分の意見を言えるようになりましょうね。 >>526
知能指数はやぶ蛇ですよ?老クリさんの大学の三倍の偏差値の大学卒と
書いた者がいたでしょう?あれが僕です。
もっともあなたが何年かかっても合格できない大学出だと思います。
ただ、僕は、自分が頭がいいとか高学歴である、という思い上がりは、とうの
昔、数十年前に棄てています。だから、頭が良さそうに見せる
ようなくだらない虚栄心はないのですよ。あしからず。 海通路さんも、僕をチンピラ呼ばわりしていましたが?w チンピラするとか2ちゃん用語?
リアルでは使わないよね >>532
それがどうしたのですか、知りませんよ、あなたの問題ですよね。
夕食を食べたら、どんなメニューであったか教えてね。
では。 \
 ̄ヽ、 _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
`'ー '´
○
O
,r"´⌒`゙`ヽ
/ , -‐- !、
/ {,}f -‐- ,,,__、) と思うゴリラであった
/ / .r'~"''‐--、)
,r''"´⌒ヽ{ ヽ (・)ハ(・)}、
/ \ (⊂`-'つ)i-、
`}. (__,,ノヽ_ノ,ノ \
l `-" ,ノ ヽ
} 、、___,j'' l プリティさんは、知識と英知や知恵の区別がついてないのですよ。
未だ、小賢しい知識に振り回されている者です。
イエス様より小難しいことを語る者は詐欺師と思え。聞いたことがありませんか?
僕が作った諺です。 >>505 整合性という角度でお聞きしました。 お時間がある時で、けっこうです。
2chではときどき、すごいジャブの応酬が繰り広げられますが、ほとんど議論が咬み合っているのを見たことがありません。
今日も、その虚しいジャブ応酬が ・ ・ ・ >>508 >>512 >>518 >>531 etc.
現代では牧師にせよ信徒にせよ、ある教派に所属しているからその教派の教義に拘束されるというようなことは、実際にはなくなったと思います。
そうではなくて個人が(信者であるなしに関係なく)、どこかで聞きかじっただけの(消化不良の)教義や聖書解釈に拘ってみたり、大真面目に反論したりしているだけです。
下記の書き込みで、「教会教義学の婢であった聖書神学に独立宣言を促した」 と、“近代聖書神学の由来” を表現したが、そのように2chのいろいろな論者の解釈や主張によっては学問としての聖書神学は縛られないのです。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1509622760/29 >>495
イエス蛇説が正しいのなら
「イエスは十字架上で蛇になられた」、という文言が聖書に記述されて
いてもおかしくは無いですけどね。
イエスは十字架上で蛇の頭を踏みつけ、蛇はイエスの踵に噛みついた
という聖書の記述は嘘になります。
まあ、どうでもいいですけど。 プリティさんは、考え方を改めないといけません。
知恵者は、信仰の歪みはあるものの、なんと、よしおさんですよ。
まあ、あなたのことです。私もそう思ってた、と言うでしょうがね。
自分が頭がいいという虚栄心もありませんね。
文章をかくときには、本当に賢い人は、高校生くらいにもわかるように
書くのですよ。覚えておいてください。
そうすると、バカが見えてきますよね。
そして、カトリックの神父様たちの文章を検索して読んでごらんなさい。
上智大学の哲学科卒の神父様が、どのような文章を書いておられるか。
頭も心も優れている者が書く文章というのはわかりやすいのです。
どうして?
相手がどう思うか考えるかをトレースしながら、そして虚栄が入ってないか
二心が入っていないかを高クロック数で検証しながら書くからですよ。 そして、見栄っ張りの老クリさんのコピペの文章とを比べてみてごらんなさいよ。
どれだけ、簡単なことを、もったいぶって、小難しく書いてみせていることか。 プリティさんは、バカを尊び、賢いよしおさんを軽んじたのです。
本当のバカはだれですか?(もうやめてー) >>541
あのね、話をする相手とかが明確な場合と、
現実に会って話す場合と、
また、執筆は推敲もし、時間をかけます。
また、哲学書でも、たとえ文学書でも、誰にでもわかるかどうかではない。
目的も様々ですよ。
なぜ、そんな幼稚な事を思いついて、またいいがかりの一つに
するのですか、ケースバイケースでしょうが、何事も。
老クリさんも誰かを陥れようとかの話ではないのですから、
興味があり、それでもわからなければ、
自分の方が教えてもらう立場になればいいだけで、
わからないからといって、勝手に話を変えて、しかもそういう悪口を言うのは、
人の話に対して反応する時の、自分の目的がおかしいのですよ。
何か書き込むとき、心の点検してみればどうでしょう? >>538
>そうではなくて個人が(信者であるなしに関係なく)、
>どこかで聞きかじっただけの(消化不良の)教義や聖書解釈に拘ってみたり、
>大真面目に反論したりしているだけです。
であるなら、牧師、神父ならまともに意見を返せると言うことになりますよね。
まちこさんは牧師であるからこそ、返答可能であるし、
老クリさんも元牧師ですから、返答できるという事でしょう。
それとも牧師の時、信者の疑問点に質問に関して、
爆笑しながら「それは誰にもわからんのじゃよ」と言われていたのでしょうか。 まあ、十字架蛇説の聖書の根拠はこの辺りにあるのでは
という老クリさんの話ですが、
しかし、贖罪との対立点になってしまうであろうことを、
どのように決着されたかのかまでは、
老クリさんは当事者ではないので、代弁はできないということですね。 >>543
すごい譬えばなしですね(笑)
しかし、あなたは老クリさんに言いがかりをつけたりは
されていないと思います^_^
老クリさんの書き込みが
参考になる人もいるかもしれないので、
良いと思うのです。
老クリさんを賢いだとか擁護とかそういう事でなく。
風穴的コメントとして受けとめました。(^.^) >>550 追記 (ガチンコ畑山で)を忘れましたw ID:z6i1ay7G→ID:hIUyRkw7
にIDを変えたのですか?
名無しさん。 >>501-502 >>504 >>538
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老クリスチャン 降臨 /:.:.:.:.:.:.:.:.i:.:.:.:.|:.:.:.:.:∧:.:.:.:.:/^^\ |
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|:.:.:./ |.:.:.:ヽ:.:.ト、;;|ノ .|:::/ \ /:.:.:.>:.、 /
┏┓ ┏━━┓ ヽ::| ヽ:.:.::.|V ュ=≡ V __`ー/=,イ:.:.::/`T '´ ┏┓┏┓
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レ V、 ./| r− ノ‐ト、./へ _, , く ヾヘ |
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V | ヽ /__ / |. ///|^^ヽr‐'´ \ヾト、/ >>501-502 >>504 >>538
老栗 GO GO GO!!
老栗 GO GO GO!! 老栗 GO GO GO!!
┌─┐ ┌─┐ 老栗! . ┌─┐ ┌─┐
│老│ │老│. 老栗! │老│ │老│
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(´・∀・`) (´・∀・`) (´・∀・`) (´・∀・`) >>538
>そうではなくて個人が(信者であるなしに関係なく)、
>どこかで聞きかじっただけの(消化不良の)教義や聖書解釈に拘ってみたり、
>大真面目に反論したりしているだけです。
ほら、この三行でも「独善と傲慢の悪魔憑き」
「平気でウソをつく人」の片鱗(へんりん)が観てとれるぢゃん。
老クリさん自身も、人間として、一生死ぬまで「聞きかじり」の個人にすぎないくせに
自分はちがう、大丈夫、若い頃から、神学生時代から
その集団の中では、いつも「自分だけは」わかっていた、そう傲慢に思い
こんでいるではありませんか。
老クリさんのブログを読むと、そんな自慢だらけ。勘違いだらけ。
事実「レギオン憑きのよそ者」である老クリさんを、
「よそ者」扱いする周りのキリスト者が全員悪いだの。あのブログは
ニガ笑いしながら読めるパロディ小説と言っても過言ではないでしょう。
神や神学を利用した「マムシの書」。
副題はーーマムシはこうして戦うーー。如何でしょうか。
味わってくださーい。ほぅ。(この一行はレイザーラモンHGで) >>548
>老クリさんの書き込みが
>参考になる人もいるかもしれないので、
>良いと思うのです。
「参考」になれば、つねにそれは有用である、良い、善い。ではないからね。
(あっ。。。)「参考という言葉に、ひとえに良い意味があるぢゃん、だから
いいぢゃん」という思考をしていますよ。バカぢゃん、という思考。
こういう哲学以前の基礎的思考の浅はかさ・・。筋トレが足りないというか。
畑山が走り込みたりないってば、おまえら。と言ってたぢゃん。
老クリさんも、プリティさんも、どちらもたったの三行で、
これだけ「変なもの」を発散しているのですよ。どんだけっていう・・。 「マムシの書」ーーこうして僕は飼い葉桶に横たわったーー
こっちの方がいいでしょうかね。 >十字架蛇説
/' ! ━━┓┃┃
-‐'―ニ二二二二ニ>ヽ、 ┃ ━━━━━━━━
ァ /,,ィ=-;;,,, , ,,_ ト-、 ) ┃ ┃┃┃
' Y ー==j 〈,,二,゙ ! ) 。 ┛
ゝ. {、 - ,. ヾ "^ } } ゚ 。
) ,. ‘-,,' ≦ 三
ゞ, ∧ヾ ゝ'゚ ≦ 三 ゚。 ゚
'=-/ ヽ゚ 。≧ 三 ==-
/ |ヽ \-ァ, ≧=- 。
! \ イレ,、 >三 。゚ ・ ゚
| >≦`Vヾ ヾ ≧
〉 ,く 。゚ /。・イハ 、、 `ミ 。 ゚ 。 ・ 女と老人がしきりに「十字架蛇説」について熱く語り合っていると
そこにイエスが通りかった。
「何を話しているのか」とイエスは尋ねられた。
「十字架蛇についてでございます」女が答えた。
これ以上は、飴玉をゆっくり舐めるように考えてみてください。 ボクダン神父のウェブサイト
http://www.nowaksvd.net/
>そして、カトリックの神父様たちの文章を検索して読んでごらんなさい。
>上智大学の哲学科卒の神父様が、どのような文章を書いておられるか。
>頭も心も優れている者が書く文章というのはわかりやすいのです。
> どうして?
>相手がどう思うか考えるかをトレースしながら、そして虚栄が入ってないか
>二心が入っていないかを高クロック数で検証しながら書くからですよ。 神の子は(中略)神から離れた陰府(よみ)に降りました。
カトリック中央協議会、2013年3月教皇のメッセージより
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0013.htm
地獄とは、場所と言うよりも神から引き離された状態を指す言葉です。
ふくいんのなみ
『ハイデルベルク信仰問答』の学び 問43−問44
https://www.jesus-web.org/heidelberg/heidel_043-044.htm 【ウエストミンスター小教理問答第27答】
キリストのへり下りは、(中略)この世の悲惨と神の怒りと十字架ののろいの死を忍ばれたこと、葬られたこと、
しばらく死の力のもとに留まられたことです。
★ふくいんのなみ(改革派教会放送局)による解説
キリストは、罪人の代表として、神の刑罰を受けるべき方として生涯を過ごされました。(中略)
十字架でキリストは、私たち罪人の代表として神の怒りとのろいを受けて苦しんで下さいました。
https://www.jesus-web.org/westminster/west_027.htm 神戸改革派神学校 市川康則校長
「キリストは罪人の「代表」として神に裁かれた、だから、もう他の人が裁かれなくてもいいということです。」
http://www.christ-hour.com/archive/detail.php?id=172
「神は(中略)キリストを罪人の代表として、また身代わりに十字架に罰せられました。」
http://www.christ-hour.com/archive/detail.php?id=147
伊丹教会 城下忠司長老
「ここ(十字架)ではイエスさまが御自分を罪人の側に置き、罪人の代表として受けた苦しみの叫びでありました」
http://www.christ-hour.com/archive/detail.php?id=400 浦和聖書バプテスト教会
人としてのキリストは、「罪人の代表」として神の義なるさばきを受けたのです。
http://urawabbc.org/2013/02/
聖書の福音
神の御子であるお方が、「罪人の代表」として十字架にかかって死んでくださったのです。
http://www.ne.jp/asahi/bible/gospel/list1034.html
仙台福音自由教会 吉田耕三牧師
イエス・キリストは「今は私は"罪人の代表"、罪人の一人とされた」という事です。
http://sendaiefc.com/mission/messages/2000/2000709.html
立川福音自由教会
罪や苦しみと無縁と思われる方が、敢えて、罪深い肉と同じ姿となり、「罪人の代表」者としての死を体験されたのです。
http://efctachi1.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/115-29-ed6e.html
堺福音教会 我喜屋光雄牧師
キリストは天から下り、人となり、私たちの代わりに「罪人の代表」として十字架におつきになったのです。
http://jec-net.org/gakiya_mes1.html 超教派伝道協議会 三浦真信牧師
「罪人の代表」として十字架で死なれました。
http://www.kuon.or.jp/Bible/Samuel/sam2_161.htm
クロスウェイ教会サンファナンドバレー
みなが見ている中で「罪人の代表」として身代わりの死を遂げて下さったのです。
http://sfjp.weebly.com/uploads/1/0/5/0/10504261/12_29.pdf
福音交友会HP
信仰告白解説書「私たちの信仰」より
主は私たち「罪人の代表」者として神のさばきを受け私たち罪人の身代わりとなることを神のみこころとして受けとめておられました。
http://heartland.geocities.jp/kyoto1952/kaisetu.html
日本キリスト改革派伊丹教会 西谷伝道所 金田幸男牧師
罪なきナザレのイエスが「罪人の代表」として十字架で裁かれ
http://www.nishitani-church.jp/blog/cat30/
日本キリスト改革派銚子栄光教会
キリストは、私達の「罪人の代表者」として十字架に至るまで、従順に神に従いました。
http://cec.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=24275821
日本キリスト改革派名古屋岩の上教会
私どものために、罪人の一人、「罪人の代表」となって、十字架で神の刑罰をお受けくださったのです。
http://blog.livedoor.jp/iwanoue/archives/51304103.html 日本キリスト教会豊中中央教会
御子イエスを、「人間の罪を負った代表者」として裁くことで、人間の罪を贖わせるということでした。
http://toyonakacc.o.oo7.jp/2015.09.06.html
日本キリスト改革派板宿教会
十字架の主イエスの叫びは、私たち「罪人の代表」として、キリストがその魂に神の怒りとのろいを受けられた苦痛を表しています。
http://www.itayadochurch.com/site0002_2_2_3/_src/sc3646/WSCitayado27.pdf
日本同盟基督教団 廣瀬薫牧師 (東京キリスト教学園理事長/東京基督教大学総長)
イエス・キリストは、罪人とされました。形だけ、罪人になったのではありません。実際に、罪人となったのです。
・・・という意味は、私達の罪を全て、ご自分の罪として引き受け、その処罰を受けたのです。
その処罰とは、見える所では十字架という事でしたが、見えない霊的な世界では、それは、父なる神様から捨てられ、断絶された、ということでした。
子なる神様イエス・キリストが、父なる神様から捨てられ、断絶した。その永遠の愛の交わりが切れた、ということは、実は私達人間には想像も出来ない巨大な霊的苦痛がそこで味わわれたということです。
http://www.imcj.org/bible/intro/l6.html あれ?入ってなかったかな?
ボクダン神父のウェブサイト
http://www.nowaksvd.net/
>そして、カトリックの神父様たちの文章を検索して読んでごらんなさい。
>上智大学の哲学科卒の神父様が、どのような文章を書いておられるか。
>頭も心も優れている者が書く文章というのはわかりやすいのです。
> どうして?
>相手がどう思うか考えるかをトレースしながら、そして虚栄が入ってないか
>二心が入っていないかを高クロック数で検証しながら書くからですよ。 それにしても、なんでまたこのクソ問題を、ループしてんの?
スピリチュアル植松のせいだろうけど >>563-568
よほど今回の議論に腹立たしい気持ちを抱かれての書き込みであろうと推測します。
相手をやっつけるため、議論に勝つためではなくて、ただキリストの福音の証しとして用いられますように。
「たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと」(エゼ 3:11)、福音を証しすることは続けられねばならないのです。 【福音の学び F】
福音書の叙述に見られるように、イエスの裁判は歴史的には複雑な出来事でした。
事件の当事者たち個人個人の罪がどうであろうとも、イエスの死の責任をエルサレムのユダヤ人全体に帰すことは出来ません。
ましてや、「その血の責任は、我々と子孫にある」(マタ 27:25)と全群衆が叫んだからといって、イエスの死の責任をあらゆる時代の、あらゆる場所のユダヤ人にまで及ぼすことは出来ません。
「教会は神の新しい民であるとはいえ、あたかも聖書から結論づけられるかのように、ユダヤ人は神から見捨てられた者としても呪われた者としても紹介されることがあってはならない。」(キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言 4)
(カトリック教会のカテキズム 597 参照) 【福音の学び F への解説】
新約聖書を文字通りに解釈するということに起因する近代の最大の悲劇に、反ユダヤ主義があります。
歴史の教会は、聖書に保存されている1世紀末あるいは2世紀初め頃の教会の反ユダヤ主義的偏見に、気づかずに汚染されてきたのです。
当時、既存のユダヤ教徒に抵抗するには未だ少数者であったキリスト者側は、彼らの初期の伝承を反ユダヤ主義的な色合いで語ることによって、結束しようとしました。
そして遂にヨハネ福音書で、それが頂点に達したのでした(ヨハ 8:44)。
現代の進歩した歴史的批評的研究を無視しては、今日の聖書解釈は最早成り立たないということを、教会の指導者や説教者、また教養ある信徒たちの多くは学ぶ必要があります。 >>571-573
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ >>571-573
老クリスチャン 降臨 , -―- 、 -― - 、
/ ,_ -―‐- _ \
/ ,ィ/_ -――- _ヽ ヽ
/ ,.-/ /´ / \ \`ヘ ヽ. ',
/ rイ / 〃./::.{:. l:. ヽ:.ヽ:.ハ fヘハ
/ 〉i,'./:{{:..{:. ハ:..:. !:.... !:ヽ..',::i| |ヽ>',
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┃┃ ┃┃ ヽ!ハ::::ヽ:::ヽ:.',::>,、 ゝ._ _ノ , イ::/ / ::./:i!::::!:l ┏━┓
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/ /⌒ン<ヽ \ ト、_ _,, レ/ {::/ }}ヽ〈'
/ / / | `! V‐===-V ヽ }} l ヽ_
〈_ ' ' j ! V ̄ ̄ V / / } ヘ≦\
/ ヽ,、 / i! i! / / / j ヽ
r‐ '― / `~ ∧ i! i! / / / / }
/ /. ∧ ヽ ! rtz ! ./ / / / /\ >>571-573 >>501-502 >>504 >>538 >>494-495 >>486-487 >>481-482
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
> <
> 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!!<
> <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
、 、 、 、 、
/っノ /っノ /っノ /っノ /っノ
/ / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧ / / ∧_∧
\\( )\\( )\\( )\\( )\\( ) >進歩した歴史的批評的研究
>教会の指導者や説教者、また教養ある信徒たち
この文言だけでもだめだろ 常識的に マムシ毒をインクに混ぜて綴って(つづって)ますからね。
有害文書です。 レギオンに憑かれた女性が、あなたも「内容について」
レスすればどうですか?と高笑いします・・。僕はマムシワールドに
立ち入るのはいやだな。 >>579
おはようございます
あなたがぴしゃーさんですか マムシと言えば、無防備な人間の虚を突いて飛び掛かってくる。
絶対に目を合わせてはいけないそうです。
他の蛇は人の気配だけで逃げるのです。 【福音の学び G】
洗礼は、罪の赦しの第一の主要な秘跡です。
洗礼は私たちを、「わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたイエス」(ロマ 4:25)に結合させ、「わたしたちも新しい命に生きる」(ロマ 6:4)ようにするからです。
洗礼は、信仰の秘跡です。
しかし信仰は、信者共同体を必要とします。
一人ひとりの信者が信仰を持つことが出来るのは、教会の信仰があってのことです。
「カトリック儀式書/成人のキリスト教入信式」 では、その第一段階の入門式で、司式者は 「あなたは教会に何を求めますか」 と尋ね、求道者は 「信仰を求めます」 と答えることになっています。
そしてさらに、「信仰によって何が与えられますか」 「永遠のいのちが与えられます」 という問答が続きます。
(カトリック教会のカテキズム 977,1253,168 参照) 【福音の学び G への解説】
一部のプロテスタントの教派の中に、人は信仰によって救われるのであって、洗礼は救いの前提ではないという主張をする人々がいます。
その根拠は、彼らの(いわば自己流の)聖書解釈にあります。
「なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を知らせるためであり ・ ・ 」(Iコリ 1:17)
はっきり言って、これは屁理屈に過ぎませんが、専門的な知識のない信者が議論しても迷路に迷い込むだけですから、避けたほうがよいでしょう。
「キリスト教入信の秘跡である洗礼、堅信、聖体の三つの秘跡が、キリスト者の生活全体の土台となります。」(カテキズム 1212)
カトリック(あるいは正統的な)教会は、一貫してそのように教えてきました。
この点について異論を唱えたい人がいるとしても、そのような習慣は(歴史の)教会にはありません。(Iコリ 11:16 参照) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています