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佳子先生の早逝は、あくまでも「弟子が快苦に翻弄されたままでは」
という条件付だ。これは、「予言」というよりは、「水が高きから
低きに流れる」の如く、当然に導かれる摂理であると言えよう。

これまで述べたことを簡単にまとめると、次のようになる。
(1)「7つのプログラム」も、「千年構想」も、弟子が主体的になって
動かなければ何も進まないテーマである。
(2)しかし、快苦に翻弄されている人々は、ただ「己の快と楽が得られ
苦を避ける方向が正しい方向である」と自然に考える。それゆえ、
「放置していれば、そのうち佳子先生がどうにかされるだろう」と思い、
放置し続ける。
(3)だから弟子は、その誤った思いを自覚して、自律的に排除
しなければならない。
(4)もし、誤った思いの排除を怠るのであれば、「佳子先生の早逝」
以外の道は無い。

(1)〜(4)のうち、「おかしい」と思う点があるだろうか?
あるならば、どの点が「おかしい」と思うのだろうか?
その点は、正しくはどのように考えれば良いと思うのだろうか?