【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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関芳郎と茶坊主どもは、全くウィズダムを
作成せずに「7つのプログラム」を進めようとしたのではないかと
私は考えている。勿論、それは個別のプログラム(歴史の整備、
研鑽の充実等)のウィズダムではなく、「7つのプログラム」の
進め方を決定するウィズダム、という意味である。
その考えが正しいと仮定して、今後何が起こるか考えてみたい。
原始GLAの時代の初代弟子の活動は、未来千年に渡って注目され
参照され続けることになるだろう。「GLA創立40周年記念事業」も、
初代弟子の活動として、語り継がれてゆくだろう。
「GLA創立40周年記念事業」は、「菩提心発掘」をメインテーマ
とし、「喜捨行」、「書写行」、「7つのプログラム」という
3つの柱から成っていた。このうち「喜捨行」と「書写行」は
滞りなく進行し終了したが、どうゆうわけか「7つのプログラム」
だけは全く何も進まなかった。
未来の人々は、「一体、なぜ、何も進まなかったのか?」と
興味深く、また不思議に思い、残された記録を精査するだろう。
すると、なんと、
「全くウィズダムを作成せずに進めようとしていた」
という驚愕の事実にぶち当たるだろう。 佳子先生がご帰天された後、GLAがどうなるか考えてみた。
GLAの方針は、弟子が神意・青写真にアクセスして決定してゆくが、
弟子の力が及ばない場合には、「天上界からの通信」という形で
佳子先生がご助力下さることもあるだろう。
しかし、「通信」というものには恐ろしい面がある。それは、悪魔が
佳子先生のふりをして通信してくることがあるからだ。通信を受ける側の
人間は、通信の内容が神意に適うのか否か見極める力を持たなければならない。
その力が無ければ、佳子先生がご助力を下さろうとしても、
ご助力を頂くことはできなくなるだろう。
ここで、一つ、仮定に基づいて思考実験をしてみたいと思うのだ。
現在、「人生祈念館には信次先生の遺骨が祀られていない」と仮定してみる。
つまり、2014年以前の状態であったとしよう。そして、その状態のまま
佳子先生がご帰天されたとしよう。
その後、「佳子先生と思しき存在」から、何人かの人が、「人生祈念館に
信次先生と私(佳子先生)の遺骨を祀れ」という通信を受け取ったとしよう。
さらに、「佳子先生と思しき存在」は、「遺骨を祀る理由」
( http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640 )
についても丁寧に説明して下さったとしよう。 この「遺骨を祀る理由」に共感して、「通信を送って下さったのは本物の
佳子先生である。ぜひ、ご指示に従おう」と主張する人はいるだろう。
その人々を「賛成派」と呼ぼう。
一方、「これは、悪魔が佳子先生に化けて、GLAを混乱させようとしているのだ。
絶対に従ってはならない」と主張する人もいるだろう。
その人々を「反対派」と呼ぼう。
「賛成派」は、佳子先生の御心を自らの心に写し取らせて頂こうとしてきた人々、
千年構想の願いを自らの内に醸成してきた人々である。だから、「遺骨を祀る理由」
( http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1472427603/637-640 )
に共感できるのだ。
一方、「反対派」は表面的に佳子先生に従ってきた人々であり、千年構想に
真剣に取り組んだことも無かった人々だ。つまり、千年構想をベースに置いた
ご指示には、全く共感できない人々だ。
さて、ここで問題だが、「賛成派」、「反対派」のどちらの意見がGLAの
方針になるだろうか? 残念ながら、現在のGLAの中で「賛成派」は、ごく少数だろう。
「賛成派」は「反対派」に押し切られてしまい、佳子先生のご指示、
すなわち「神の御意志」は具現されずに放置されるだろう。
佳子先生の御心を自らの心に写し取らせて頂こうとせず
ただ口先で佳子先生を賛美し、表面的に佳子先生に従っている人々、
千年構想の願いを自らの内に醸成しようとせず
関芳郎とともに千年構想を放置してきた人々、
そして、そのような自らの現状を恥とも思わない人々、…
そのような人々は、佳子先生が御在世中の現在のGLAでは、
さほど障害になるわけではない。
しかし、上述の思考実験から解るように、佳子先生がご帰天された後、
そのような人々は、神、佳子先生の妨害者に変貌する。佳子先生が「通信」
という形でご助力を下さろうとしても、そのような人々が妨害者となるため、
GLA共同体は、ご助力を頂くことができなくなるだろう。
そのような人々の割合が多ければ、GLAは、どんどん神意から外れ、
おかしな方向に流されてゆくだろう。そして、2018年現在のGLAを眺めて
みるならば、このままでは確実にそうなるように思えてしまうのだ。 そのような事態を避けるためには、今からでも行ずることであろう。
霊操行を基として、自分の心を佳子先生の御心に合わせてゆくことである。
これは、「静中の工夫」になるだろう。
また、千年構想のヴィジョンを描き、その具現を進めてゆくことだ。
これは、「動中の工夫」になるだろう。
この二つによって、佳子先生がご帰天された後も、
必要な場合には、佳子先生のご助力を頂けるようになるだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています