【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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関芳郎と茶坊主どもは、全くウィズダムを
作成せずに「7つのプログラム」を進めようとしたのではないかと
私は考えている。勿論、それは個別のプログラム(歴史の整備、
研鑽の充実等)のウィズダムではなく、「7つのプログラム」の
進め方を決定するウィズダム、という意味である。
その考えが正しいと仮定して、今後何が起こるか考えてみたい。
原始GLAの時代の初代弟子の活動は、未来千年に渡って注目され
参照され続けることになるだろう。「GLA創立40周年記念事業」も、
初代弟子の活動として、語り継がれてゆくだろう。
「GLA創立40周年記念事業」は、「菩提心発掘」をメインテーマ
とし、「喜捨行」、「書写行」、「7つのプログラム」という
3つの柱から成っていた。このうち「喜捨行」と「書写行」は
滞りなく進行し終了したが、どうゆうわけか「7つのプログラム」
だけは全く何も進まなかった。
未来の人々は、「一体、なぜ、何も進まなかったのか?」と
興味深く、また不思議に思い、残された記録を精査するだろう。
すると、なんと、
「全くウィズダムを作成せずに進めようとしていた」
という驚愕の事実にぶち当たるだろう。 >>501-505 に書いたことは少しおかしかったと思う。もう一度検討してみた。
GLA会員の中には、「自分は神理を世界に広めるため、伝道に尽くしたい。しかし、
GLAホームページに奇怪な言葉が書かれたことによって、伝道に支障が生じている。
なぜ、このようなことが起こっているのだろうか?」と疑問に思っている人が
いるかもしれない。
なぜ、このようなことが起こっているだろうか?
その前に、「伝道に支障が生じている」とは、具体的にどのような事なのだろうか?
GLAに縁のなかった人が佳子先生の御著書に触れたとき、その内容に共感する人が
しばしば現れる。「共感する」ということは、GLA、佳子先生に対してプラスイメージを
抱くということである。その人がGLA、佳子先生に興味を持って、インターネットで
検索したところ、GLAホームページに掲載された「奇怪な言葉」に出会ったとしよう。
その時、その人は、GLA、佳子先生にマイナスイメージを抱くことになるだろう。
ここで「プラスイメージ」と「マイナスイメージ」のどちらが大きいのか、
それは人それぞれであろう。「プラスイメージ」が大きい人を「A群」と呼び、
「マイナスイメージ」が大きい人を「B群」と呼ぶことにしよう。 A群の人の想いを言葉で表すと、例えば、次のようになるだろう。
「開祖の遺骨を使ってお金を集めようとするGLAの姿勢は理解に苦しむ。しかし、
高橋佳子先生の説かれている神理は、叡智に満ちた素晴らしいものであり、
その点を否定することはできない。釈然としない点はあるが、とりあえずGLAに
入会して神理を学んでみよう」
一方、B群の人の想いを言葉で表すと、例えば、次のようになるだろう。
「GLAの主張の中には、もっともらしいものが様々含まれている。しかし、実際に
やっている事は何だ?GLAは、遺骨に対する会員の執着心や選民意識を煽り、
遺骨ビジネスを展開しているではないか。そのような教団は信用できない」
A群の人は、「神理を理解する力」に優れ、それゆえにプラスイメージがマイナス
イメージを上回ったのだ。B群の人も、「神理を理解する力」を備えている。しかし、
それはA群の人ほど強いものではないため、プラスイメージよりもマイナスイメージ
のほうが強くなってしまったのだ。
「伝道に支障が生じている」とは、「B群の人に対して」ということであり、
A群の人に対しては、さほどの影響は無いということになる。 「B群の人に対する伝道」に支障が生じたのは、表面的には、関芳郎がGLAの
ホームページに奇怪な言葉を書き込んだためである。
しかし、関芳郎がそのような行為に及ぼうとしたとき、佳子先生がストップを
かけられなかったのも事実である。すると、「GLAのホームページ奇怪な言葉が
書き込まれたのは、佳子先生の御意向に基づくものである」と言えるだろう。
そのことは、さらに、「神の御意志による」とも言えるだろう。
過去20年以上に渡り、佳子先生はB群の人をGLAに迎え入れるため、様々な
準備を果たされたように思う。そのうちの一つは、佳子先生の御著書がより
多くの人に共感して頂けるよう、読みやすい内容になってきたということだ。
また、B群の人をGLAに招いてゆく「願い」と「志」を現在のGLA会員に醸成する
ために、1999年には「千年構想」を呼びかけて下さった。さらに、現在のGLA会員の
菩提心を発掘しつつ、B群の人を招いてゆく具体的準備を整えてゆくため、
2008年には、「7つのプログラム」の実践を呼びかけて下さった。 その結果はどうだろうか。過去20年近くの期間内に、「御著書」の面では、
確かにB群の人に共感して頂けるものが揃ってきたと思う。
しかし、「B群の人を迎え入れてゆく態勢」についてはどうだろうか?
「千年構想」は20年近く放置されてきたし、「7つのプログラム」は
10年近く放置されてきた。B群の人を迎え入れてゆく態勢は、何一つとして
整っていないのだ。つまり、「御著書」と、「GLAの態勢」との間に
大きなアンバランスが生じてしまっているのだ。
「B群の人を迎え入れてゆく態勢」が整っていない以上、B群の人を入会
させてはならないのだ。それゆえ、御著書に共感した人々のうち、A群のみを
GLAに入会させながら、B群を排除する「障壁」が必要になったのだ。
GLAホームページに掲載された「奇怪な言葉」とは、正にそのB群を排除する
「障壁」であり、その障壁は、現在のGLAにとって必要だから設けられたものなのだ。
「御著書」と、「GLAの態勢」とのアンバランスを解消してゆく目途が立たない限り、
「障壁」を撤廃することは佳子先生が許されないだろう。 「千年構想」も、「7つのプログラム」も、なぜ放置されてきたのだろうか?
「関芳郎や茶坊主どもが放置したから」というのは一つの事実であろう。
しかし、その事実を認識しながら、「関芳郎や茶坊主ども“を”放置した人間」
が存在するのではないか?
関芳郎や茶坊主に意見をすれば、彼らとの間に軋轢が生じるのは避けられない。
それは「苦」であろう。また、「千年構想」や「7つのプログラム」を進めよう
とすることも「苦」を伴う。しかし、何もせず、眺めているだけなら、「楽」
であり、「快」であるのだ。
「関芳郎や茶坊主どもを放置した人間」は、己の「苦」を避け、「快」を
追及する道を選んだのだ。その結果、千年構想も、7つのプログラムも、
20年に渡り、全く何も進まなかったのだ。
快苦に縛られて、「関芳郎や茶坊主どもを放置した人間」とは、一体誰か?
もしかすると、それは「あなた自身」ではないのか? 最初の問いかけに戻ろう。
「自分は神理を世界に広めるため、伝道に尽くしたい。しかし、GLAホームページ
に奇怪な言葉が書かれたことによって、伝道に支障が生じている。
なぜ、このようなことが起こっているのだろうか?」
このような疑問を抱く人に対して、私は次のように回答したい。
「“伝道”と“お世話”は一如であり、
お世話が可能な相手でなければ、GLAに入会させてはいけない。
あなたは、己の快苦に縛られた結果、
関芳郎や茶坊主どもを放置してきたではないか。
その結果、千年構想も、7つのプログラムも、放置されているではないか。
それは、それを必要とする人の“お世話”を放棄したということである。
“お世話”を放棄したならば、その対象者をGLAに入会させることはできない。
だから、その人々に対する伝道に支障が生じているのだ。」 GLAホームページに掲載された奇怪な言葉は、外部からB群の人々が集うことを
排除するとともに、「既にGLAに集っているB群の人々」をGLAから排除する力も
備えている。本スレを見ると、その兆候を強く感じるのだ。
> GLA【高橋佳子】の死生観
> https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512523045/
既に集ったB群の人々がGLAから去ってゆく直接的な理由は、GLAホームページに
掲載された「奇怪な言葉」であるかもしれない。しかし、その根底にある理由は、
「神理が理解できないから」である。神理が理解できないのは、彼らを神理の理解に
導ける研鑽、お世話の態勢が整っていないからだ。彼らは、神理が理解できないゆえ、
GLAの一つの汚点を見つけたら、GLAの全てが汚く見えてしまうのだ。
1980年代、GLAでは、既に集っている会員を外に弾き出す「会員の選抜」が断行された。
http://file.copyman.syoyu.net/GG.pdf
それから30年以上経た今、この悲しい歴史が、再び繰り返されようとしている。
それを押しとどめるためには、B群の人々をお世話してゆく態勢を整えるしかない。
快苦に翻弄される己自身に打ち克ち、千年構想、7つのプログラムを進めてゆくのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています