茶坊主どもが試練から解放されるためには、「関芳郎のケツの穴を舐める」
というおぞましき受発色を変革し、過去世の後悔を生き直し、責任ある仕事を
果たすことである。それ以外に試練から解放される道は無いのだ。

「責任ある仕事を果たす」とは、具体的には様々な形で現れるだろう。しかし、まず
最初に果たすべき「責任ある仕事」とは、>>268-270に書いた通り、関芳郎を問い質し、
奇怪な言葉がGLAホームページに掲載された経緯を明白にすることだ。

以上のような事を「単に述べる」のは簡単だ。しかし、「佳子先生の説かれた教え」
を否定する見解であれば、単に述べただけでは、GLA会員に簡単には受け入れられない。

過去、私は、神理全般について、私の見解を様々述べてきた。私が述べてきたことの
「正しさ」は、解る人には解るだろう。その「正しさ」を認める人であれば、
「佳子先生の説かれた教え」を否定する見解であっても、「特殊な条件下に限定して」
ということであれば、受け入れられるかもしれない。

過去、私が神理全般について、見解を様々述べてきたのは、私の意志ではなく、
神の御意志によるものである。神がこのような御意志を示された理由の一つとして、
私が「試練」について「佳子先生の説かれた教え」とは異なる見解を示したとき、
「その見解に信憑性を与える」という目的もあったのではないかと思う。