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【王の王】神の言【主の主】 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001神も仏も名無しさん
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2017/01/20(金) 08:00:19.13ID:0IkR9fQ9
ヨハネの黙示録
19:11
またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。
19:12
その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。
19:13
彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。
19:14
そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。
19:15
その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
19:16
その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。
19:17
また見ていると、ひとりの御使が太陽の中に立っていた。彼は、中空を飛んでいるすべての鳥にむかって、大声で叫んだ、「さあ、神の大宴会に集まってこい。
19:18
そして、王たちの肉、将軍の肉、勇者の肉、馬の肉、馬に乗っている者の肉、また、すべての自由人と奴隷との肉、小さき者と大いなる者との肉をくらえ」。
19:19
なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いをいどんだ。
19:20
しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。
19:21
それ以外の者たちは、馬に乗っておられるかたの口から出るつるぎで切り殺され、その肉を、すべての鳥が飽きるまで食べた。

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0002神も仏も名無しさん
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2017/01/23(月) 03:47:05.13ID:gDOg98fX
狭き門より、入れ。

滅びにいたる門は大きく、その道は広い。

そして、そこから入っていくものが多い。

命にいたる門は狭く、その道は細い。

そして、それを見出すものは少ない。

(マタイによる福音書第7章)


イエスは答えて言われた。

人はパンだけで生きるのではなく、

神の口から出る一つ一つの言による。

(マタイの福音書4章4節)


わたしが道であり、真理であり、命なのです。

わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

(ヨハネの福音書14章6節)



キリストを「良心」神に置き換えれば、意味が解るように神は言葉で仕組んでおられるのです。

イエス一人が神の子だとしてしまうと、人に内在する天帝の分魂(キリスト)が解らなくなるのです。
0003神も仏も名無しさん
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2017/01/26(木) 15:41:04.11ID:4SlQNsHL
最後の審判は西洋では「火の審判」とされますが、日本では「真性天照皇太御神」が出て来ることです。

私達が持っている魂の「核」は天帝の分魂であり良心神ですが、各自の魂の中にある「真性天照皇太御神」でもあるのです。ですから「ラー」は太陽神の意味があるのです。

その「天の岩戸」が開いたならば、各自の魂の中からその「光が放射」されます。

その放射された光は、人に食い込んでいる蛇霊を攻撃する。打つ。強いるの働きなのです。

自分の中に存在する蛇霊の食い込みが少ないと、早い段階で蛇霊達は去る(巳帰る)でしょう。

しかし、自分の魂に完全に蛇霊が食い込んでいると、それは激しい光の攻撃となり打つ強いるなのです。

救世主とは「人たる身の方ではなく」、人の魂の中に存在する「真性天照皇太御神」のことなのです。

それが「世を救う」なのです。

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=426
0004神も仏も名無しさん
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2017/01/27(金) 18:08:25.81ID:sIQumZZi
聖書に、人類の祖先とされるアダムとイヴは「蛇」の囁きにより、エデンの園(神の御国)から一緒に追放されたとあります。
すると、私達人類が神の御国に帰還する為には、私達人類と一緒に存在する「蛇(巳)を帰らす」が必要となるわけです。

その為に必要なことは「省みる(かえりみる)」です。

が、聖書を読んでもその蛇が何と呼ぶ蛇なのかが書かれていません。
蛇と言っても各種あるのですから、それが具体的でないと解らないわけです。


私はその省みるを「人に内在する良心神」で説いて来ました。
人に良心が存在しなければ「悔い改める」が出来ないからです。
悔い改めるとは「省みる」ことでもあるからです。


日本の神智学において、「愛」ばかり言っている者は「蛇霊」に犯されているという説まであります。
それでは、エデンの園(神の御国)には戻れないのです。

大切ことは、自己の中に存在する「蛇」を帰らせないと行けないわけです。

人に内在する良心神も、その蛇を帰らせる為の教えです。

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=349
0005神も仏も名無しさん
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2017/01/27(金) 18:29:37.21ID:sIQumZZi
日本は【世界の大陸の雛形】となっています。

日本が「神国」と言うのは、別に日本に天皇家があるからではないのです。

世界の雛形となっている大地の国に住み、神の言葉である「日本語」を使っているから「神国」なのです。

そもそも「神の言葉」とは、私達が使っているところの「日本語」です。

これは「バベルの塔」の話で語られています。

昔、人類は神と同じ言葉を使っていたが、神の怒りに触れて、一つの民族以外は「神の言葉」を使うことを禁止された。

その言葉を使う民族とは「日本民族」で、日本民族だけが「神の言葉」を今日も使っているのです。

ですから、日本列島は「世界の大陸の雛形」ともなっているのです。

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=165
0006神も仏も名無しさん
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2017/02/06(月) 14:43:47.01ID:fMvkFoRj
ヨハネの黙示録
19:11
またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。
19:12
その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。
19:13
彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。
19:14
そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。
19:15
その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
19:16
その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。
19:17
また見ていると、ひとりの御使が太陽の中に立っていた。彼は、中空を飛んでいるすべての鳥にむかって、大声で叫んだ、「さあ、神の大宴会に集まってこい。
19:18
そして、王たちの肉、将軍の肉、勇者の肉、馬の肉、馬に乗っている者の肉、また、すべての自由人と奴隷との肉、小さき者と大いなる者との肉をくらえ」。
19:19
なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いをいどんだ。
19:20
しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。
19:21
それ以外の者たちは、馬に乗っておられるかたの口から出るつるぎで切り殺され、その肉を、すべての鳥が飽きるまで食べた。
0008神も仏も名無しさん
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2017/02/16(木) 03:37:04.61ID:OHwL6a5I
聖書にカインとアベルの話がありますが、神は作物を捧げたカインより、羊を捧げたアベルに目が行ったとなっていますが、神が四つ足動物の血や肉を望まれたなどはあり得ないのです。

私が子供の頃に望んだ声は、「旧約聖書の神」と名乗られて、

【我が書は旧約聖書なれども、旧約聖書は暗号書である。そのままに読めば必ず意味を間違える。暗号を紐解かないと意味が解らない】

と私に告げられました。ですから、暗号だと知っていると意味が解けるものもあるのです。

そこにあるのは、羊の言葉は【譱(善)】であり
我れは羊は【義】のことなのです

愛も他を助ける為に自己犠牲の上に立つ愛であれば、愛も良心の意味となります。
しかし、スピリチュアルで説く愛とは、ほとんどが「我れよし」を増長させる愛なのです。

そうしたことが教えられぬ宗教であれば、そんな宗教にさほど意味はないのです。

そこに来るのが、米教では【他(田)を救い(鋤くい)て世根(米)となれ】になります。
稲荷の教えは、【実のれば実のるほど、頭を垂れる稲穂かな】となります。似通っていますね。

米教も稲荷の教えも【瓜二つ】なのです

狐の字を見ていて、「瓜」に不思議を思う人は少なし。


豊受の神が、私に【貴方の「言葉」の教えを聞けぬ神は如何なる神であろうとも、天帝に対する反逆者として裁かれる】と告げられましたが、これまで世に出られた御神霊は「言葉」に秘められた仕組みの理解には何一つ到らなかったようです。

つまり「神の言」を理解していないかったとなるのです。

自分が信じる宗教の教えが絶対だと「狂信」に走ると、日本語と言えども言葉を仕組んでいる偉大なる神の存在が解らなくなります。言葉の仕組みをされたのは、どこかの宗教団体に鎮座されるような御神霊ではないからです。


創造神を祭る宗教団体を創る必要はなし、

何故ならば「神は汝と共にあり」。

人の肉体こそが、創造神のお宮なのです。
0009神も仏も名無しさん
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2017/02/16(木) 03:40:23.38ID:OHwL6a5I
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=397

人は「いと小さき者」であり。「言葉の仕組み」をされた創造神に対抗できるような存在ではありません。

浅はかな「人智」で自己主張をいくらしたとしても、それは頭をもたげる「蛇」霊の道を進むことになりかねません。

それでは永遠に「輪廻転生」から抜けられなくなってしまいます。
0010神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/02/16(木) 06:56:33.61ID:tLKHMroM
あげますね
0011神も仏も名無しさん
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2017/02/17(金) 22:00:37.47ID:MMDfY1+/
あげますね
0012神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/02/19(日) 12:53:48.04ID:x2eNi0QD
西洋人が唱える愛とは非常に奇妙で、牛や羊の肉は喰らっても鯨の肉は喰うな。
鯨が哺乳類であるのが理由ならば、牛や羊だって哺乳類なのです。
事の道理を考えない間違った愛を言う人が世には多いのです。

西洋人の場合はそこには白人優越主義等が見られますが、白人世界が考えた主義が正しい神の論理ではないのです。

ですから平気で黒人を人間と見ずに奴隷化し、また肌の色が黒いと差別します。
その黒人奴隷商人の先兵となったのが一部のキリスト教の宣教師達でした。
神の名を語る人の顔をした獣達の行為です。それは歴史が証明しています。

大本教の出口王仁三郎聖師は「地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だ」と書き残されましたが、
神や仏の名を語った者達の卑劣な行為は地獄にしか行けないのです。

神を説く者が必ずしも善人とは言えないのです。

日本ではキリスト教を国教として入れさせない為に鎖国制度が実施されましたが、
鎖国制度以前に日本人も日本に来た西洋人の宣教師によって奴隷として
ブラジルで売られていた記録がブラジルの裁判所で見つかりました。
西洋人宣教師に欺されて異国に連れて行かれて売られたのでしょう。

もしも日本にキリスト教を入れていれば、日本も西洋の植民地化されたかも知れないのです。

中国におけるアヘン戦争もその一端でした、これは「不義の戦争」と呼ばれています。
英国に「義」など無かったからです。これも歴史の証明です。

このアヘン戦争が日本でも知られて「吉田松陰や佐久間象山」等の志士により国体を江戸幕府体制から明治維新への変革の一翼となったわけです。


人が人を奴隷化する。それは良心を失った者達の行為です。


http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=445
0013神も仏も名無しさん
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2017/02/19(日) 12:54:56.55ID:x2eNi0QD
旧約聖書にユダヤ人だけが神の選民で、他の諸国民を奴隷化するような記述がありますが、それらは自分に神が降りた式の預言者の言葉であり、その預言者に本当に神が降りていたのかどうか実は疑わしいのです。
それは後の預言者が前の預言者の言葉を疑わしいと述べていることからも解ります。

巷には、自分には天使長ミカエルがガブリエルが降りて来る式の霊感女子が後を立たずに花盛りですが、霊界を見聞すれば蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊だらけの中で、それが本物だと言う証拠はどこにもないのです。

幸いこの日本では蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊も神霊として祀られますので、そうした存在があることは理解しやすいのです。
しかしながら一神教の世界では、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊の存在が説かれていない為に、霊感者に何が降りているのかの吟味がまるでされておらず、そんな存在の言葉すら預言者によって創造神からの言葉式になったきらいがあるのです。


基本的にどこかの民族が神の選民だとしても、それ以外の民を奴隷化するなどは本当の創造神の言葉でないことぐらい自分に「良心」神があれば解ることなのです。


そうした間違った預言者達による行為を正当化させているのがイスラエルと言う国家です。

もしもユダヤ人に神は「良心だ!」の意識が少しでもあれば、どうしてあれだけパレスチナの人に無茶な行為が出来るでしょうか?。

同じ神を抱くのであれば仲良く出来るのが本当だからです。
0014神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/02/20(月) 17:32:30.54ID:RlVx8/Bt
あげますね
0015神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/02/23(木) 23:21:36.40ID:kKLWRbB+
良心神とは、魂の核に秘められて表には出てこない存在です。

西洋では神はゴッド(God)と呼ばれています。ならば、良心はゴッド(God)に近いグッド(Good)かと思うと、コンサイエンス(Conscience)となっています。しかし、これでは良心神が解りません。

西洋でも神ゴッド(God)の遠回し表現としてグッドネス(Goodness)があります。この場合は善良、有徳、優しさ、親切、寛大の意味です。明らかに良心神の働きです。

だが、西洋では良心神が理解されずに愛(love)になってしまったのでしょう。

せっかく日本にいて、日本語で神が理解出来るようになっているにも関わらず、『神はコトバ』を理解出来にくい英語表記のことばかり言っていれば、それでは良心神など理解出来ないでしょう。

大本教神典に日本人には西洋人より一段と高いミタマを授けてあるとありますが、『神のコトバ』である日本語を使える民族と言うことです。
そうした時、これを選民思想と言うようでは、神の厳と瑞の関係がまるで解っていない者となります。
0016神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/02/24(金) 15:22:40.71ID:rXk64EYd
age
0017神も仏も名無しさん
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2017/02/26(日) 12:11:27.29ID:kBQtBXsB
保守
0018神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/02/28(火) 17:27:13.33ID:DeIHiDKd
あげ
0019神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/03/02(木) 18:23:27.77ID:xGNgfnlU
保守
0021神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/03/14(火) 12:24:51.79ID:2CCGxuEU
私は主とは途方も無い存在だと思います。

日本人に聖書は遠い書物でしたが、人類の原罪として「蛇の囁き」で神の園から追放。始めに言葉は神と共に在った。その言葉と言っても世界最多のコトダマで構成される「日本語」に、全ては秘められた。

すなわちバベルの塔だったのです。

古来、世界の人類は一つの言葉であった。だか、創造神の怒りに触れて、一つの民族を除いて世界の民族は言葉を異にするようになった。すると、世界の民族の中で、今も神の言葉を使っている民族が一つだけあることになるのです。

大本教と言う宗教が起きて、コトダマの「ス」神が発表された。これが言葉と神が世に告げられた最初と言えるでしょう。この大本教が出て来なければ、誰も言葉と神を理解するにも至らなかったのです。
0022神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/03/28(火) 21:46:04.77ID:ZY0j+AW5
私がまだ子供の頃、私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は私に対して【この神だけを唯一の神とせよ】と告げられました。

当時はまだ子供でしたが、小学校に入学祝いとして祖母が買ってくれた学研の当時全七巻の百科事典を読み終えていましたし、父が買ってくれたお釈迦様やイエスやマホメットの伝記や漫画本なども読み終えていましたので、子供でもある程度の宗教に対する知識を持っていました。

当然、西洋で唯一の神と言うのはユダヤ教やキリスト教やイスラム教で説くところの【旧約聖書の神】を指しているのだろうと思いましたが、どうにもこの【唯一の神】と告げられた言葉そのものが子供心にも引っかかっていました。

それは旧約聖書の神と名乗る声が【旧約聖書は我が書であれども暗号書であり、暗号を紐解かない限り意味は解らない。新約聖書は人の子達が為した書で私の書にはあらず。
この日本の国は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、この国に聖書は必要は無い】と述べられたからです。

この日本では聖書は必要がない書ならば、西洋人が言う唯一神とは別の唯一の神の意味になってしまうからです。

この【唯一の神】の言葉は、私が成長して大人になっても、神霊世界に修業に入っても私に引っかかりを起こさせました。

唯一の神とは、どういう意味だ?。?。?。

豊受様を初めとして幾人かの霊能者の方から貴方の本守護神は「国常立尊」様だと告げられて、私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る存在は「国常立尊」であったことの認識は出来ました。
また「天之御中主」とも呼ばれる存在と同体であることも解って来ました。豊受様が私に天帝と告げられるのは「天之御中主」様のことです。宇宙とか天にある主神のことです。

ならば、どうして「国常立尊」とか「天之御中主」と名乗らずに、【唯一神】のみを神とせよと言われたかです。


私は大本教神諭予告の「九つ花」から、【唯一神】の意味を知ることが出来たわけです。


それは【人の魂には天帝の分魂である直霊】が存在しており、その「直霊たる良心神」を唯一神として仰ぐなのです。


それが天帝とつながる道だからです。


http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=436
0023神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/04/07(金) 21:43:09.80ID:jHi7hgIi
イエスは言われた。『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。

第二もこれと同様である。『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。
0024神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/04/07(金) 21:52:18.00ID:jHi7hgIi
神言会の教えも要約すれば>>23になります

米教は『他を救いて世根(米)となれ』ですが

稲荷は『実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな』

米教と稲荷の教えは瓜二つ

汝の主なる神を愛し(恵みに感謝し頭を垂れ)、

汝の隣人を愛せよ。(他を救いて世根となれ)
0025神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/04/08(土) 01:42:56.52ID:Q+i6k2cF
スピの系の方達の中には、自分は宗教が嫌いだと言う声がかなりある様に見受けられます。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を見れば、3教とも「旧約聖書」を聖典としながらも、宗教戦争と言うべき殺し合いの中にあります。
キリスト教徒はイエス一人だけを神の子と信じ、イエスと言う個人崇拝をしています。
ユダヤ教徒は、そのイエスを「メシヤ」と認めないことから、キリスト教徒から迫害を受けて来ました。
イスラム教もイエスは偉大な預言者と認めていても、メシヤとはしないことからキリスト教徒とは敵対しています。
そして、ユダヤ教とイスラム教は聖地エルサレムを巡って争います。互いに宗教が自己の優位性を誇示して戦って来ました。

宗教の教義を「競技」として「狭義」になってはいけない。それこそ「狂義」と化す。

為に教義を巡って殺し合いをする宗教などは要らないという声はもっともな話ではあるでしょう。

しかし、ひるがえって見るならば、神が殺し合いをさせているのではなくて、聖職者と呼ばれる宗教家達がそれをしているわけです。
一部に、新訳聖書は初期の段階で邪神に支配された聖職者達によって別の物に書き換えられて、イエスを偶像化することで人々はそれを神の子と信じているなどの話もあるわけです。

人類によるもっとも「愚」は、自分が信じる宗教の教義は絶対で異教徒は殺せの考え方です。

それを正すには、唯一神の元に「世界の宗教は一つ」が理想なのです。

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=261

神は無い。霊は無い。人は死ねば終わりだ。それは、個人の信仰であって、誰も何も言わないように、

神は在る。霊は在る。人は死後も生きていると信じるのも信仰なのです。

自分は神は存在しないと信じているからと、神や霊の存在を信じて信仰する人を攻撃するのは越権になります。

神界の基本原則として、神霊の存在を認めなくてもかまいません。それは、神など無いと信じる信仰の範疇なのです。

しかし、神は無いと信じる者には神は存在しなくなります。信じていない存在が在るはずもないからです。
0026神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/04/08(土) 11:59:15.88ID:Q+i6k2cF
この日本では西洋の唯一神信仰の一神教ではなくて、多神教信仰が行われています。

そこには神とは自分に「現世御利益」を与える存在が神であり、「自分が困っている時に助けてくれるのが神」だという間違った教えが入り、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊に「身変える」という問題を引き起こしてしまいました。

私は溺れている人を助ける為に自分の魂を悪魔に売るかと聞かれれば、売らないと言います。

今を助けることが本人の為に成るとは限らないからです。助ける=カルマの解消にならないからです。

自分が置かれた苦難の道は自分で耐えるのがカルマ解消の道なのです。

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=409

創造神とは、私達に現世御利益を授けたり病気治しをされる神ではなく、太陽のような「火」。雨のような「水」。そうした私達の命を養う為の「自然の恵み」を授けておられる存在であって、スピリチュアルで自分に臨む等の簡易な神ではないのです。

ですから、創造神は私達にその「自然の恵み」に対して金など一銭も言われないのです。要求されないのです。全て無償なのです。

その創造神に仕え奉る「奉仕」とは、私達一人一人が創造神に代わって世の為に人の為にと社会に奉仕として尽くすことなのです。

それは「特定の宗教団体」に所属するではないのです。奉仕活動とは無償ですることなのです。

創造神に仕え奉る人とは

世の為人の為にと「奉仕」する

それが【人に内在する良心神】の働き
0027神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/04/10(月) 09:36:21.60ID:qmn2gEyx
サニワで蛇霊神と問答していると、助けてくれと言うから助けてやった。それでお礼に御神酒を貰った。それのどこが悪いと言います。
こちら側からは、お医者に行ってもお金はかかります。助けて上げて、お礼に御神酒をもらわれたことに何の問題もありません。
問題はあなたが蛇の身に化していることに対して、どう思っておられるのですか?。悔い改めて、蛇の身から脱脚しょうとは思われないのですか?。
だが、言うことは聞いてくれません。悔い改めて真面目に生きるよりも、面白く楽しくその時を生きればいいのだ。
スピリチュアルの世界で、辛い魂磨きは止めましょう。自分達はこの世を面白く楽しく生きればいいのだと、ブログなどで書き込んでおられる方がおられます。
その方の背後に誰が居るか?。もう、サニワをする必要すらないのです。


良心神の教えは、その人に蛇(邪)が強い時は聞こうともしません。必ず反発します。

そこが蛇(邪)霊が喜んで受け入れる愛の教えとの違いです。

これは本人に【巳(蛇)帰る】のミカエルの働きがないと、かなり難しいのです。

最後の審判には【巳(蛇)帰る】が言われています。

【巳(蛇)帰る】でないと、良心神の点数が上がらないからです。

また、良心神の意味を理解するのは困難なのです。

良心など単に良い心のことだと思っていると、学ぶ必要は無いとなるのです。

聖書、エデンの園を蛇と追われた人類。【巳(蛇)帰る】に達したならば、エデンの園に戻るのです。

イエス一人を神の子と信じたならば、解決する問題ではないのです。


http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=25
0028神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/04/10(月) 17:09:25.56ID:qmn2gEyx
人が悪業をするのは悪業を喜ぶ霊に憑依されているからであり、人の魂の本来の姿は【完全無欠】のものだと言う考え方が存在します。

論理的にはそうなのですが、だからと言って自分が犯した罪は全てそうした悪業霊の仕業によってしたことであって、自分には何の罪も咎も無いとはなりません。

自分の魂を磨いておけば、そうした悪業霊に憑依されなかったからです。

また人の魂には「良心」神と呼ばれる存在が天から賦与されているからです。

自己に良心神があれば、その罪を逃げようとはしないでしょう。

人は自己の中に【良心神】を確立しておけば、常に悔い改めに入れるからです。

そこに、自分の魂を磨かなかった罪。悔い改めようとしなかった罪が発生するのです。

仏教用語になりますが、良心を備えないと自己の魂の本我・真我に到達出来ないのです。

つまり自分の本我・真我を出すには、人は【霊止】であるが故に、自己に憑依して来る霊を祓いに祓い、清めに清めて行かなければならないのです。

神社に言って祓い串で祓ってもらえれば、微細なチリやホコリ的な存在の霊は祓えますが、カルマまで解消できるではないのです。前世の罪が消えるではないのです。祓いたまえ、清めたまえで、神主にお祓いしてもらえば全て解決はないのです。

自己に【良心神】が働いて来ると低級霊は懸からなくなります。

またスピリチュアルと呼ばれる低級霊界との関わりからも遠ざかります。

自分はスピリチュアルと言うバカげた事に惚けていたと解って来ます。

それよりも真面目に働こうです。

スピのセミナーに大金や時間をかけているよりも、実際の神社に参拝している方がまだ霊的チリやホコリの類いは祓えるので有意義なのです。

さらに自己の魂が向上して行くと、もはや神社や仏閣に鎮座される神霊は絶対神でないことも理解出来て来ます。

本我・真我の中に創造神の存在を実感して来るなのです。

聖書の【神は、汝と共にあり】だからです。

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=452
0029コピペ
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2017/04/19(水) 22:33:20.13ID:eapXT8jf
宗教家と名乗る者達の中には、神の名を利用して来た者達が多数居るのです。

そうした者達が勝手に神の名を使い自分の頭で決めたのが宗教の律法。

中世のキリスト教社会において、イエスと同様の奇跡を見せる霊能者達は魔女の烙印を押されて火炙りの刑に処されました。

それを命じたのは神ではありません。

牧師(神父)と名乗る者達が神の名で勝手にしたことです。

神学校を出て来た優秀な者達であったとしても、神霊世界に関わることが出来ない牧師達は自分達の頭の中で勝手に描いた神観を元として神を説いて来たのです。


もしも、自分の中の良心が神であると気付いていたならば、イエス一人に罪の償いを押しつけている教義が根本的に間違っていると気付いたはずです。


単に[羊]達を追う牧師であってはいけなかったのです。


http://kamikotokai.com/009/
0030コピペ
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2017/04/19(水) 22:35:12.68ID:eapXT8jf
大切な事は神に従ってくる「子羊」を神の元に従属させることではないのです。

言われなければ自らが動こうとしない者達をいくら集めても意味がないのです。

大切なことは、神の意を受けてそれを実践する者達の育成なのです。

そうでなければ、やがて神とも成れる「神の子」ではないのです。

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=415
0031コピペ
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2017/04/19(水) 22:38:51.33ID:eapXT8jf
現世御利益とは、神の存在を知らない者に神の存在を知らせむ為の手段の一つであって、現世御利益を与えることが神の本来の道ではないからです。

私が蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊に化した者達に厳しく言うのは、目的の為の手段を間違えるなと言うことなのです。病気治し結構。現世御利益おおいに結構。

それらは神の存在を知り、自らが神の道に進む目的の手段に過ぎないのに、それを「売り」にしていることが貴方達の身を蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊に「身変える」させているのですよなのです。
0032コピペ
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2017/04/19(水) 22:43:33.54ID:eapXT8jf
私が子供の頃、私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【そなたを社会の底辺に置く。そなたはその社会の底辺をウジ虫のごとく這ってでも生きよ。そして、その社会の底辺で「人の心の在り方」に関して学びなさい】でした。

私は【社会の底辺】に自分の身を置くことによって、人々の悲しみ。苦しみを見て来れたのです。

私を育てたのは【社会の底辺に住む人達の本来の心の美しさ】なのです。


大きな羊は「美」です。大きな羊の身には「躾」が利いているのです。何をしても自由だ!。では何の「躾」も利いていない。羊の言葉は善(譱)とは成らないのです。


私が説く【良心神】とは、言葉の仕組みもありますが【社会の底辺】から導き出した教えなのです。


私は神々を見ていて、【神霊とは良心を失った者達か】とさえ思ったのです。

何故に神々には良心が無いのかと思った疑問が、私に大本教神諭予告「九つ花」を紐解かせ、五十六億七千万の仕組みの上に立つ「みろく」によって、お釈迦様の悟りが【悪魔は実体を持たない現れで有り、人には良心と呼ぶ神が内在する】を理解させたのです。

何故に、神々は人に【良心神】の存在を説かないのか?

良心神は【人に内在する神】であって、神々に内在する神ではないのです。

この世に生きている間に悔い改めないと、死んでからは良心神(天帝の直霊)は発動しません。


人の身の内でないと、良心神の教えは説けないのです

人の身ではない霊が、人に「良心神」を説くことは無いのです

自分を神や天使と思っていると、人に「良心神」を説けないのです


スピリチュアルで出る「霊」で、【良】心神を言うなどは無いのです

いくらスピリチュアルで自分は「凄い、偉い」式で走っても、「閻魔庁」は霊が見えたとか霊声が聞こえたでは魂の判定はしないのです。

その人の魂がどれほど「宝石の如く」輝いているかどうかなのです。
0033神も仏も名無しさん
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2017/05/18(木) 19:13:27.61ID:1ePAvKT4
出口王仁三郎聖師さんは「九つ花」に気づいてはおられたとは思います。が、自分が「みろく」神とか「メシア」と名乗ったことで、自分は「ニセ者」を演じさせられたと気づかれたのでしょう。

そして出口なお開祖派であった神道天行居を起こされた友清歓真さんに、ある神が「九つ花」は「九の数理盤」のことだと降ろされたことで出口王仁三郎聖師は先を越されてしまわれた。しかし、友清歓真さんの読解力は「ラ」神論でも「天之御中主」で終わってしまわれた。

これは「蛇」が解っていないと解けない問題なのです。キリスト教で説く「人類の原罪」。ただ、キリスト教は「イエス」一人を神の子と拝んでいれば「人類の原罪」から救われるとした。

そこに「良心」神を当てはめると、救世主とはイエスではなく「良心神」と解る話です。

これは世に出ておられるどの神も、ここまで組み立てられていたとは気づかれなかったことです。
0034神も仏も名無しさん
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2017/05/19(金) 10:55:54.14ID:imWb74Wx
スピ系の方達の中には、自分は宗教が嫌いだと言う声がかなりある様に見受けられます。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を見れば、3教とも「旧約聖書」を聖典としながらも、宗教戦争と言うべき殺し合いの中にあります。

キリスト教徒はイエス一人だけを神の子と信じ、イエスと言う個人崇拝をしています。

ユダヤ教徒は、そのイエスを「メシヤ」と認めないことから、キリスト教徒から迫害を受けて来ました。

イスラム教もイエスは偉大な預言者と認めていても、メシヤとはしないことからキリスト教徒とは敵対しています。

そして、ユダヤ教とイスラム教は聖地エルサレムを巡って争います。

互いに宗教が自己の優位性を誇示して戦って来ました。


宗教の教義を「競技」として「狭義」になってはいけない。それこそ「狂義」と化す。


為に教義を巡って殺し合いをする宗教などは要らないという声はもっともな話ではあるでしょう。

しかし、ひるがえって見るならば、神が殺し合いをさせているのではなくて、聖職者と呼ばれる宗教家達がそれをしているわけです。

一部に、新約聖書は初期の段階で邪神に支配された聖職者達によって別の物に書き換えられて、イエスを偶像化することで人々はそれを神の子と信じているなどの話もあるわけです。


人類によるもっとも「愚」は、自分が信じる宗教の教義は絶対で異教徒は殺せの考え方です。



それを正すには、唯一神の元に「世界の宗教は一つ」が理想なのです。
0035神も仏も名無しさん
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2017/05/19(金) 14:06:58.90ID:imWb74Wx
イエスの教え、イチジク(無花果)の葉が色づく頃を知りなさい。

大本教神諭は「九つ花」、たった「一字九」の花。

現実界の花ではない無花に果を実らせる。
0036神も仏も名無しさん
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2017/05/22(月) 13:57:42.02ID:SqUsK6Op
日本昔話に病に伏したある侍の居士(出家をしないで仏道を修業する者)の前に金色に輝く阿弥陀如来が現れます。死ぬ前のお迎えに来たのです。

それを見たその居士は病の布団から起き上がると『自分の様な者の前に金色に輝く阿弥陀如来さんが出て来るなどはあり得ない』と弓を持ち、その金色に輝く阿弥陀如来に向かって矢を放った。

するとそこには矢に射抜かれた一匹の古狸が死んでいた...という話があります。

・・・・・・・・・

この昔話の教訓は、まず自分にそれほどの存在が死のお迎えに来てくれるかです。

自分にそれだけの功績があってこそ出迎えて貰えるのであり、何もしていない自分に果たしてそんな存在が降りて来るのだろうか?

やはり修業に修業を重ねて階段を上がってこそなのです。

因縁果報。不昧因果。天網恢々疎にして漏らさず。
0037神も仏も名無しさん
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2017/05/22(月) 14:47:21.32ID:SqUsK6Op
霊的世界は欺されに欺されて、なんぼです。

自分は霊に欺されたことが無いと言えば、完全なお人好しかバカです。

まったく「叡智」が備わっていない者と言えます。

そうした霊の欺しから這い上がって来るような人で無いとなかなか本物には成長しないのです。

しかし、だいたいは自分が霊に欺されていることにすら気づかない人が大半です。

特にスピリチュアルはその典型です。

イエスやモーゼか自分に降りて来た。

ならば貴方は自分はそのレベルに達している者と本気で思っているのですかなのです。

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=407

昔は少々の霊感。霊が見える。霊の声が聞こえる程度のことであれば、優秀な霊能者の方はそうした霊感を消されていました。

なまじその程度の霊感で霊界に関わると危ないからです。

そうした霊感を消しても消しても残る。そうなると修業をなさいだったのです。

そうした修行を積んで、ようやく霊能者のタマゴと言えました。
0038神も仏も名無しさん
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2017/05/22(月) 14:50:17.52ID:SqUsK6Op
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=366

イエスの教えとは、スピリチュアルの方達がお題目として説く「神の愛で何をしても赦される」ではありません。

【神の到来の日は近い。為に悔い改めなさい】がイエスの教えの基本だったはずです。

どこでそうした教えがねじ曲がったのかとなりますと、聖書の【人類の原罪】の「蛇の囁き」において、キリスト教の牧師達の

「イエス一人だけが神の御子であり、イエスを通さないと主には会えない。イエス一人を主の御子と信ずれば神の御国に救われる」。

そこに「イエス個人崇拝」が起きてしまったことにより、【人類の原罪】とは何かの根本が論じられることがなくなったと言えるかと思います。

しかし、キリスト教の牧師と呼ばれる人達が「蛇の囁き」を理解するなどは、霊的な素質を持っていないと「霊界の蛇霊」を見るなど不可能なことであり、地上を這っている蛇を見ても、何のことかとなります。地上を這っている蛇は何も囁いては来ないからです。
0039神も仏も名無しさん
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2017/05/22(月) 14:52:33.33ID:SqUsK6Op
日本で世の大立替を宣伝した大本教からは「悔い改める」ではなくて【省みる】が説かれました。

言葉上の表現は違っても中身は同じ「悔い改める」です。

日本の両部神道たる修験では、【六根清浄】が説かれて、山伏達は【懺悔・懺悔】と声を出しながら山歩きをします。六根清浄とは何も肉体の汚れそのものではなくて、心(意識)を汚させないなのです。
例えば、六根清浄の「目に諸々の不浄を見て、心に諸々の不浄を見ず」とあるように肉体の汚れを戒めたのではなくて、肉体は汚れたものを見ても、心(意識)と言う霊的存在を汚してはいけないと説いているのです。

心(意識)とは【魂】のことなのです。すると、この【懺悔】とは「悔い改めます」と同じ事なのです。

では、日本神道はどうかとなります。神社にお参りしても、別に神主から【懺悔】をしなさい。【悔い改めなさい】と告げられることはないかと思います。
しかしながら、私などは神社の総代として神社の御奉仕に参加する時、御奉仕の最初に宮司先導の元で本殿に向かって、「自分の直霊(直日)の働きによって、ことの正邪(よしあし)を省みて、自己の過ちを悔い改めて行きます」と宣(の)ります。

これもまた「悔い改めます」なのです。

日本神道でいう直霊(直日)とは、私達の魂の中に存在する天帝の分魂で、私はそれを【人に内在する良心神】と説いています。同じ事を言っているのです。

ただ、私はそれを具体的に神論として説いているために小難しい内容になっていますが、簡単に言うならばそれも【私は、悔い改めます】なのです。

悔い改めるは「神の愛で許される」ではなくて、自らの【良心】に基づい悔い改めますなのです。

愛は「ことの正邪(よしあし)を省みて」ではないからです。

だとすれば、イエスの教えにも修験の学びでも、神道の教えにも「人に内在する良心神」の意味合いは含まれているのです。
0040神も仏も名無しさん
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2017/05/22(月) 14:53:34.99ID:SqUsK6Op
仏教のお釈迦様の菩提樹の下での覚りとは、後の仏教で改ざんされてしまいましたが、【悪魔とは実態を持たない表れで、人には良心と呼ぶ神が内在する】だったのです。膨大な仏典から、この内容を出された「曹洞宗」の小冊機関誌には感謝しております。

ですから、世界の宗教の原則には【良心】神の論理は入っていたのです。

だが、良心と呼ぶ存在をもっとも嫌う邪神達の働きによって、「愛」の教えにすり替えられて行ったと言えます。日本の神智学で「愛」を説く者は、蛇霊に犯された者とまで言われるのはその為です。


イエスが説いた「神の到来の日は近い」は大本教が世に出した「世の大立替」のことで、大本教の「神が表に現れて善と悪とに立て別ける」も同じことです。

創造神たる神が人類の上に臨まなければ、とても人々が聞くことではありません。

イエスにしても大本教の出口王仁三郎聖師にしても、その日時は自分が生きている時と思っておられたでしょうが、立替などは起きても来なかったわけです。

それは私にしても同様なのです。
0041神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/05/22(月) 14:55:21.78ID:SqUsK6Op
私が子供の頃に臨んだ声は、【私はこの世の幕を降ろすに当たり、そなたをこの世に送った。そなたは人類を救いなさい】と言われます。

私は驚いて、【どうやれば人類を助けることが出来るのですかと?】と問うたところ、

【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、この国で私の仕組みを見れば解る。そなたはその仕組みを人々に告げなさい】でした。

その当時、この国(日本)に満ち溢れているは「言葉」のことだとは解るはずもありませんでした。

私はそんなことを言われてもと戸惑い、その声に尋ねました。【それ(この世の幕引き)は何時の日なのですか?】と。

すると、その声の主は私に返して来たのです。

【それが何時の日かは言えぬ。ただ、間違いなく言えることは、それはそなたがこの世に生きている日に起きて、そなたはこの世の幕が降りる様を見届ける最後の者となる】でした。

私は神霊界に修業に入って、豊受様に本当に世の「大立替」があるのですかと豊受様の御代をしている師匠に通じて質問したところ、

【世の大立替はある。だが、それが何時の日なのかは私にも解らない。ただ、貴方はその立替の大嵐の中を通過するでしょう】と豊受様は言われたわけです。
0042神も仏も名無しさん
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2017/05/22(月) 14:56:30.66ID:SqUsK6Op
私は「言葉の仕組み」は見ました。

しかし、本当に世の大立替が起きると信じているのかと聞かれれば、イエスも大本教の出口王仁三郎聖師も立替は自分の時だと思って欺されで終わってしまわれたわけです。

私もその口かも知れないとは思っています。

しかしながら、日本語を知らない世界の人類は別として、私達日本人には言葉による仕組みがなされいることは学べば解るのです。


だとすれば、そこにあるのは【十年一日が如く】ではなくて、イエスから【二千年一日が如く】繰り返しで「神の到来の日は近い」。【悔い改めなさい】と言っていなければならないのです。


何故なのかと言いますと、神社で【自分の直霊(直日)の働きにおいて、ことの正邪を判断して、自己の過ちを悔い改めて行きます】と宣(の)っている方達は、そのほとんどが天国行きの切符を持っておられるからです。

例えそれが末端の神社であっても、自分の直霊とは天帝の分魂で「人に内在する良心神」であり、それに従って事の正邪(よしあし)を省みて、自己の過ちを悔い改めて行きますと宣(の)ると言うことは、天帝に対して自分は【悔い改めます】と言っていることになるからです。
0044神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/06/09(金) 06:55:29.15ID:IKvM8/2p
ヨハネの黙示録

6:9
小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。
6:10
彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。
6:11
すると、彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と言い渡された。

19:9
それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。
19:10
そこで、わたしは彼の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。
すると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」。

22:8
これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。わたしが見聞きした時、それらのことを示してくれた御使の足もとにひれ伏して拝そうとすると、
22:9
彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと、同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい」。
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