つまり、霊人は心であるから、目も、鼻も、口もなく、また、手足なども無いと考えるからである。
ところが実際は、霊人そのものが手を持つが故に地上人に手があり、指を持っているが故に、地上人に指が生じることを知らなければならない。
しかも、霊人は地上人よりはるかに精巧に出来ていることは、それを構成するものが精巧であることによって立証されるであろう。
霊人は地上人にまして一段の光明の世界にあり、一段と優れた霊体を有している。
霊界における事物はすべて霊界における太陽と、太陰とにより生まれてくる。
それは地上人おける場合と同じである。
太陽と太陰との交叉により生じる歓喜によって、その生まれたるものはさらに一層の光輝を放ち、弥栄となる。
また、霊界には物質世界のごとく空間はない。
このことを地上人は中々に理解しないのである。
霊界における場所の変化は、その内分の変化に他ならない。
霊界に距離はない。空間もない。
ただ、あるものはその態の変化のみである。
故に離れるとか、分かれるとかいうことは、内分が遠く離れていて、同一線にないことを物語る。
物質的約束における同一場所にあっても、その内分が違っている場合は、その相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかっているのである。
故に、地上的には同一場所に、同一時間内に存在する幾つかの、幾十、幾百、幾千万かの世界、及びあらゆる集団も、内分の相違によって、
感覚の対象とならないから、無いのと同様であることを知り得るのである。


第14帖は以上です…。