基地蔵八部衆
>>233この世界を造った存在、という意味での神です。
インドの教えでは一方で「この世界の神は生き物を発生させて苦しめている。これは
邪神であり、この世を支配しているものは下等な神である」とする教えもあるとか。
もし仏教徒にこの世を造った神への冒涜があるのなら、そのように考え行動するはず。
でも「この世に惹かれて生まれ、活躍したいとおもうから何度も何度も生まれ変わる」と
いった話は常にこの世を発生させた神は悪くない、という前提がないとだめなのです。
そうじゃないとこの世を造った神をひたすら謗るようになるはずですから。

神様(それは天輪聖王なのか、破壊の後の創造の神なのかは存じません)が
なにを意図して殺し殺されの生命界を造ったのは知りません。もし、悪神だというのなら
その神を倒すとか、その神の支配から逃れるといった思想になるはずです。だけど
仏教ではそんなことを説いてはいない。あくまでこの世に発生してしまったのは
自分の意思である、とそう断定してます。というかそう考えないとおかしい。なぜなら
そうでなければ一旦解脱したとしても、自分の意思と関係のない力でまたこの世界に
生まれてしまうから。そうでしょう?「解脱すれば二度とこの世に生まれることはない」と
シャキャムニは説かれたのだから、そうなはずです。

その唯我独尊、だとか主人公、という場合にはやはりいずれにしろ
「始まりがあった」という提がないとだめですよね。存在がないのに
悩むわけ、ないじゃないですか。その初期設定をしたものという意味での
神です。全知全能の一神教の神ではない。創造神がないと第一
自分もこの世も存在しないわけだから、いると思いますよ。ただここでは
神様だとか始まり、だとかなんと呼ぶかは限定していません。

もし、仏教徒がこの世に発生して苦しむ・・といった初期設定をした存在を
呪うのなら、修行するのにそういった話を盛り込むだろうと思われます。邪神の
支配から逃れよう、とか倒そうだとか。しかしそんなことは言っていない。だとすれば
この世とそれを造ったものを肯定も否定もせず、修行しこの世から脱出しよう、と
いうわけです。ある意味で敬神でしょう。この世をアミターバみたいに破壊して
くれる、だとか考えないのだから。