890 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2017/01/26(木) 00:01:55.06 ID:x8u08F1O [1/2]
見性体験なら話しましょう。
粥座の雲板が鳴って食堂に移動する時、チュン、チュンでした。形容するなら、自己がなくなり今あるでした。今あると気付いたのはチュンチュンというスズメの鳴き声によってでした。
チュンチュンと独り言を言ってました。

そんだけの事です。
それからが本当の修行で今も然りです。やはり坐禅、坐禅、坐禅、坐禅!

893 返信:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2017/01/26(木) 00:10:24.62 ID:x8u08F1O [2/2]
>>891
そういう事です。「ムー」と拈提しているうちに「これだ!」というのが出てきます。それを老師に認められるのが「初関を透る」という事です。 』


わたしは、30を過ぎたころ、アメリカ人の神父か牧師が、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、と言う公案に取り組んだが、全く歯が立たなかった、と言う本に出合ったのが、きっかけでしたよ。

そして、やがて、片手の人が叩く拍手の音を聞きました。

わたしは、この事を、一の如し、とせいりして言いますが、当時は、手足が舞い、しばらくの期間はマルク縁を組み、肩を抱き合い、歌い踊っていました。

わたしは、ジャズのコンサート会場での観客総立ちの中での片手の人の拍手を聞きました。

よくはないよ、それは、と、無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく)です。

ここで、みなさんが つまずきますが。