>>47
わたしも断食を一生懸命取り組んでいた時期が長くあった。
断食と言えば格好つけすぎだが、健康法の一種でもある断食だった。
断食健康法、とでも言うべきか。
まず、一日断食すると、二日間かけて断食前の食事量の8割までに戻す。
断食の間は水分はとる。
2か月後に、二日間の断食をして4日間かけて断食前の食事量の8割までに戻す。
このように2か月に一度の断食をしていくというものです。
わたしは7日間の断食まで進みました。
この頃は確かに体調が良かったな、と思います。
このような現代人の飽食対策のような断食と修行者の苦行の一つ断食とは、比べようが無いものでしょうね。
彼が無邪気に差し出す少女スジャータの乳粥を受け取った、その事が、とても大切である、と思っています。
そこに一の如しの仏教のさとりと出会います。
苦行である断食の後の食事としての乳粥ですから、また、少女が持って走ってくることができる量ですから、ほんの少しであったろうと思います。
太陽の分身である我々は、食物のエネルギーを胎内の取り込みエネルギーを燃やし、太陽と同じになります。
夜明け間の低い空に輝く金星の輝きは、ガウタマ・シッダルータと一如でした。
理屈っぽくついつい言ってしまったのですが、光り輝くわが身を見た事でしょう。
その色は、金色きんいろです。
彼は寒気のまま数日間その河のほとりで歓喜の境地を楽しんだと言います。
さも、ありなん、うんうん、です。
話しを戻しますが、瞑想がどの木の下でなされたものかという事は仏教徒としての知りたい欲望を持つ人もいるでしょうが、サブストーリーではないでしょうか。
沙羅樹は最大30メートルにも及び、小さな白い花を沢山つけると言います。
きれうぃでしょうね。