206 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2017/01/09(月) 23:00:39.77 ID:9qN7bvjZ
>>200
>貴方が本当に無師独悟なら、既にみんなそうなんだが?そんなんだから、鈍いと言われてるんだよ。どうしても表現がなくてはならぬ。「見えてる」だろと言われてるだろ。勝義は言語を越えるが、言語に依らねば知ることができない。
  説明されて、証明がなされ、納得と理解が伴わねば、視覚やその他は機能しないのか?この説明すらも言語によってなされてるんだがな。 』


無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく) 、と言うのは、決してほめられた事ではない、と言われている。
わたしも、そう思う。
それはお師家さまの指導の下(もと)、公案に参禅すれば数百倍のスピードで、初関を透る(しょかん を とおる)、事だろう。
わたしの場合は、アメリカ人の神父さんか、牧師さんが、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、と言う公案に取り組んだが、まったくわからなかった、と言う一冊の本を読んだことが、出会いだった。
後にそれが、白隠禅師(はくいんぜんじ)が弟子たちのために作られたものだ、と知った。
しかもこの隻手の音声(せきしゅのおんじょう)は、よくその弟子たちそ初関を透した、と言う。
白隠禅師の死後も、白隠禅師の墓を囲んでそのぐるりを初関を透らなかったお弟子さんたちの墓が丸く取り囲み坐禅は続いているのだ、と聞く。

無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく) は、とても時間がかかる。
初関は透るかもしれないが、色即是空、である。
空即是色には、とてつもない時間が必要だった。

それが、お師家さまの指導を受けていれば、聞きましたぁー、と駆け込む部屋へ入ったとたんに、片手の声は聞こえないよ、と色即是空は空即是色と還る、と老婆禅である。

わたしは無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく) は、おすすめしません。

わたしの場合は、わたしにとっての歩む家庭の事でした。

あなたの言う禅も禅なのでしょうが、わたしはそう言う事に無関心なのです、特に定義づけなどには。