2004年(主日A年) 12月12日 待降節第3主日

イザ 35:1〜10  ヤコ 5:7〜10  マタ 11:2〜11
洗礼者ヨハネは牢の中で思い悩んでいました。 彼は神の御業が理解出来ないでとまどっていました。

「来るべき方は、あなたでしょうか。 それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」(マタ. v.3)

現代のキリスト者も、神の終末的救済の実現を理解出来ず、神の国の福音を宣べ伝えることも自ら信じることも出来ない無力感に支配されています。
イザヤの語った終末的救済の実現の徴など、世界のどこにも全く見えないのです。
しかし今年も待降節第三主日に、全世界の教会は聞いています。

「わたしにつまずかない人は幸いである。」(マタ v.6)

世の中の大多数の人々が、クリスマスの喧噪にひとときの息抜きや空騒ぎを求めて、サンタクロースを主人公にして浮かれているとき、再臨のキリストはもう 「すぐ近くにおられます」(フィリ 4:5)。
神の終末的支配が実現しようとしていること、そして神の救済史の御業は決して阻まれることはないということは、さらに真実なのです。

私たちは現代キリスト教の世俗化と荒廃、その権威と社会的影響力の失墜、使徒継承的福音理解と信仰の喪失という事実を、正直に認めてもよいのです。
それは紛れもない現実なのですから。
しかし、その現実のただ中にありながら、私たちは一つのことだけは最早疑ってはならりません。
再臨のキリストはもう 「すぐ近くにおられます」(フィリ 4:5)。
神の終末的支配が実現しようとしていること、そして神の救済史の御業は決して阻まれることはないということは、それらの現実を超えてさらに真実なのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より