2007年(主日C年) 11月25日 王であるキリスト

サム下 5:1〜3  コロ 1:12〜20  ルカ 23:35〜43
「十字架にかけられていた犯罪人の ・・・・・ もう一人の方が ・・・・・ “イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください” と言った。」(ルカ vv.39-42)

イエスの処刑の場を通りかかった人々は、代わる代わるののしり、あざ笑って、“お前がメシア、ユダヤ人の王なら、十字架から降りて自分を救うがよい” と言いました。
一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしりました(マタ 27:32-44、マコ 15:25-32)。

ルカ福音書が書かれた頃、すでに多くの人々がキリストの福音を信じるようになり、神の国の希望に生きる教会を形成していました。
初期の受難物語りに描かれている民衆や兵士や犯罪人たちのイエスに対する侮辱の言葉に、他ならぬ自分自身の罪の姿を見出し、その罪のために神の子イエスが十字架の死によって、永遠の贖いを成し遂げてくださったと信じるようになっていました。
ルカ福音書の受難物語りには、そのような初代教会の信仰が反映されているのです。

まだ自分の罪を知らず、キリストの福音を受け入れていない当時の人々に向けられた 「お前は神をも恐れないのか」(ルカ v.40) という呼びかけが、現代のキリスト者である私たちに今朝再び語られています。
“王であるキリストの祭日” と呼ばれる典礼暦の最後の主日は、私たちが “キリストの出現とその御国とを思う”(IIテモ 4:1) べき日でありますが、我が国のカトリック教会でこの日にそのような説教が語られることは、これまであったのでしょうか。
しかし、この主日の “ことばの典礼” における朗読配分は、長い歴史を超えて今日に至るまで、この主題を明確に伝え続けて来ました。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より